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静岡県川根町

三光寺

2005年02月12日

曹洞宗満家山 三光寺
京都天竜寺開山夢窓国師の開闢の地である。長く廃絶していたが、約380年前中川根町上長尾智満寺5世才岩存芸大和尚が再興して、曹洞宗寺院となる。3世察伝和尚の代に家光公より朱印6石を賜る。現在の本堂は寛政年間に建てられ、鐘楼堂は貞享4年前住筏山智船大和尚の代に建立されたもので、約290年を経ている。本尊は阿弥陀如来である。
2018坪を有する境内には200年をこえる杉木立が立ち並び、虚空蔵尊及び33番観音・足地蔵・馬頭観音・水子地蔵・文殊・普賢菩薩・豊川稲荷大権現・白山妙理大権現・六地蔵等をおまつりして、一大浄境をつくっている。

寺宝
1.県指定文化財
「紙本墨書大般若教600巻」永和年間筆
2.武田信玄公の遺品と伝えられている馨子(金鉢)
がある。

(看板資料より)


武田信玄の遺品とされる馨子

人文社の静岡県広域道路地図を見ていたら、川根町というところの三光寺というところに「武田信玄の遺品とされる馨子が寺宝としてある」と書かれていたので寄ることにしました。森町からずっと山道を走って峠を越えて川根町に行きました。場所は少し奥まったところにあったので分かりづらかったです。本堂に行ってみると中から歌のようなものが聞こえてきました。話によれば御詠歌の集まりだそうでもうすぐ終わるから待って欲しいとのことだったのでその間に境内を散策しました。一番下の写真のように足地蔵といって足の形をした石の地蔵がまつられていたり、その他色々なものが祀ってあってちょっとしたお寺のテーマパークのようでした。
御詠歌が終わり、老人の方が大勢出てきて一段落したところで住職と思われる方が出てこられたので、武田信玄の遺品を見せて欲しいとお願いしたところ、快く応じてくれました。本堂で待つように言われて奥の方から出してきてくれました。そもそも馨子というのが何なのか知らなかったのですが、要するにお経などを読むときにたたいて音を出すものだそうです。信玄公というより武田軍の遺品というべきものかもしれないとのことでした。
3代目の和尚の代の財産台帳に記載されていたものだそうで、ここから森町にぬける道の途中に塩本という村があり、そこのあるお宅に置いていったといわれているそうです。ちょうどここに来るときに通ってきたところでした。いつ頃のことなのか聞いてみましたが、そういった詳しい話は分からないのだそうです。もたせてもらいましたがけっこう重かったです。普通は縁のところに何かしら彫ってあるものが多いのだそうですがこれには何も彫られていませんでした。


足地蔵

足地蔵の由来
昔大井川の支流の家山川で片方の足を村人がひろいました。その足をこの寺の住職がねんごろにとむらってその霊をなぐさめました。その為か今ではこの足地蔵様にお願いすると足のあらゆる病気に願いが叶うといわれ遠くは四国の方より日本でただ一ヶ所の霊験あらたかな足地蔵様の噂を聞き何日もお参りがたえません。
(看板資料より)

 

 
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