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静岡県島田市

諏訪原城

2004年05月01日

諏訪原城は天正元(1573)年武田勝頼の臣馬場美濃守氏勝を築城奉行として築かれた規模雄大な山城であり、当時の東海道武田領の最前線牧の原台地の東北角を占めた天然の要害であった。
遺構は、本丸、二の丸、三の丸、大手郭、帯郭、西の丸、搦手、亀甲曲輪の八郭からなる特徴のある縄張りにより配置形態のうえから「扇城」とも呼ばれた。自然堀と人工の大小堀が13本ありいずれも深くて急斜面を呈しているが石垣は用いられていない。武田氏の守護神である諏訪明神を城内の一角に祭ったことから諏訪原城と呼ばれるが、史料には城の変遷を示す牧野(原)城、金谷城、扇城という呼称が見られる。
(看板史料より)


12号堀

半月形水堀で三の丸を守る。長さ89.7m、幅15.3m
(看板史料より)


9号堀

この堀は土橋によって2つに分かれており、隠し堀の8号堀に続いている。自然湧き水を利用した水堀で長さ109.0m、幅14.5m
(看板史料より)


諏訪明神


4号堀

三の丸を守り自然の湧水による水堀で当城の堀のうち、最も大きな堀である。
長さ221m、幅14.5m


壁立

壁立とは壁の如く切立った構造をいう。特に堀と堀との直結した間隙に構え堀を伝っての直接の敵の侵入を防ぐためのものである。
(看板資料より)


土橋

堀を渡るための橋(道)である。またこの土橋は4号堀、9号堀の水位を調節する役目もしている。
(看板資料より)


大手郭

この郭は本城の表玄関に当る所です。郭(曲輪)とは城壁、堀等で区画された一区域をいいます。
(看板資料より)


        今福浄閑戦死墓塚


11号堀

浅堀で敵の攻撃の気勢をそぐための堀で深さ1m余の空堀である。この堀の特徴は付近の地面と同じ高さの構造である。


馬場跡

乾曲輪


3号堀

二の丸を守っている。規模は長さ70m、幅14.5m、水堀。
(看板資料より)


帯郭門

木戸が設けてあり二の丸への人の出入りをチェックした。
(看板資料より)


帯郭


2号堀

二の丸を守っている。規模は長さ72.5m、幅14.5m、空堀。
(看板資料より)


二の丸

副将またはそれに準ずる武士の詰所である。武器保管や他の城からの来城者の控所にもなる。武士の屋敷もあった。
(看板資料より)


5号堀

この堀は三段鍵堀といい底部は三段になっている。これは甲州流の特徴の一つで、敵の侵入に手間取る利点があり珍しい構えの空堀である。
(看板資料より)


6号堀

この堀は城内の谷沢(東沢)に続き、自然の地形(谷沢)を利用した堀となっている。
(看板資料より)


本丸馬出口


本丸跡


天主台地

この城は山城であり、天主閣はなく二層からなる矢倉(櫓)があり、物見が常駐しており敵の動きを監視していた。
(看板資料より)


搦手口、搦手外郭

搦手外郭は食料、衣料、飲料水、武具の搬送など主要な役割の地点である。
(看板資料より)


カンカン井戸


水の手

この下約70m、当城で使用される水の水源地である。現在は地域の簡易水道の水源地となっている。
(看板資料より)


三の丸

この茶園一帯が三の丸である。二の丸に次ぐ一郭であり、食料、武器、弾薬庫を備えている重要な所である。
(看板資料より)

 


2001年08月10日

国指定文化財
史跡諏訪原城跡は東海道武田領の先鋒を勤める重要な拠点の金谷台に天正元年(1573)武田勝頼の臣馬場美濃守の縄張で築かれた稀に見る規模雄大な山城の跡である。
(看板資料より)

 
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