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長野県佐久市

信永院

2011年12月30日

金峰山信永寺
曹洞宗。上州多胡郡神保つ村仁叟寺も末寺。天文元(1532)年望月左衛門尉信永の開基であり、荘厳和尚の開山と伝えられている。
本堂は江戸末期の建築。本尊釈迦如来像は江戸中期の作。本堂前にある根元から十数本の幹を生じた珍しい榧の巨木は樹齢約5百年といわれている。
(看板資料より)

この寺は天文元(1532)年6月25日に創立された。金峰山の号は武田左京大夫義勝が望月氏の継嗣になった時に建立したものであろう。その証となる御嶽神社の棟札に金峰神社とあり、当院の山号と同じなのは甲州から御嶽神を遷し祀るのと同時の創建であるからである。はじめ信養院と号して、後に信永と改めたのは、義勝が信雅の継嗣となって信永と称し、長篠合戦で討ち死に後に寺号を改めたものであろう。
(長野県の武田信玄伝説より)

 


お寺の方にお会いすることができたのですが、年末で忙しそうで詳しいお話を聞かせてもらうことはできませんでした。
しかし当寺と武田氏との関係などについて色々と調査しているとのことで、本堂には武田菱と望月氏の家紋が並んでいることなど簡単に説明してくれました。
次回はあまり忙しくない時に訪れたいと思います。

 


望月右近太夫義勝公祭祠

 

 
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