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千葉県市原市

真如寺


2009年09月20日

当寺は520年余前、室町時代中期・当時上総の国一円を支配した真里谷城主武田信興(甲斐武田氏の同族)が開基となり密山正厳禅師を開山として寛正5(1464)年に創建された千葉県における曹洞宗の古刹である。
開基の武田氏は戦国時代に滅亡したが、その後北条氏の庇護を受け、続いて徳川時代には幕府より禄30石を賜り寺有山林数十町歩を持ち、堂塔伽藍30余棟・修行僧、常に80余名・末寺も48ヶ寺を数え、佛道修行の道場地方本寺として法燈連綿と続き、盛時には上総の高野山と称されたとも言われる。
然し乍ら明治元年、義軍(徳川方)官軍の戦いに不幸にして兵火に遭い堂塔ことごとく灰塵に帰した。爾来百有余年、仮本堂のままであったが、平成3年夏に現在の本堂が建立されることになった。
境内の老杉の下にある大きな礎石、古い石段、庭園の築山等に往時を偲ぶ面影が残されている。
(看板資料より)

真里谷信興の墓

甲斐武田家12世、甲斐守護武田信満の次男武田信長の孫真里谷信興(開基)は、武田家菩提として真里谷の地に、天寧山真如寺を建立しました。上総に入国後8年後のことです。開山は蜜山正厳禅師で、関三刹として有名な埼玉県入間郡越生町の龍穏寺から来ました。
(パンフレット資料より)

お寺の人に真里谷信興公の墓について聞いてみたところ、お寺で作った手づくりのパンフレットを頂き、お墓の場所と行きかたを丁寧に教えてくれました。お線香も頂いてお参りをしてきました。立派な墓で真如寺殿照堂道鑑大居士と彫られていました。

 

 
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