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愛知県設楽町

信玄坑(津具金山)

2004年12月12日

元亀三年の頃より甲州武田信玄の勢力がこの地にも及びました。信玄は津具川に砂金の産することを知り採掘をしましたが、この山に金鉱脈を発見して、いくつかの坑道を掘りました。この坑道はその一つで総延長は140メートル程であり、途中枝分かれしています。採掘された鉱石はこの下の古町で精錬したので、当寺使用した金摺石が今でも残っています。
武田氏滅亡した後は、織田信長続いて徳川家康が採掘したことが古文書に記録されています。
(看板資料より)

津具には金脈があるとのことで武田信玄が目をつけて金鉱を掘らせ、その産出量は24万両にも及んだそうです。金山を掘ったのは武田軍団そのものではなく、実際には金山奉行が下請けして金山を掘り、金山を掘っていた人々は本当に大変だったようです。人が一人やっと入れるくらいの穴を掘り進み、時には穴が崩れてしまったことがあるかもしれません。その後、津具金山ではアンチモニー、タングステンなども産出したので金山としては閉山して津具鉱山になったようです。また津具の金の含有率は佐渡の金山にも匹敵したそうで、地元の人達は昔近所の川で遊んでいると川底の砂の中に砂金がキラキラと輝いているものをみることができたとのことでした。
また昔金山を掘った際に掘り出された土のせいで金山周辺の土地では作物が育たなくなってしまったという話も聞かせていただきました。

現在、金山の坑道の中には入ることはできず、入口には柵があり鍵がかけられていますが、この坑道の入口の場所はかなり分かりづらく、私も散々探してやっと発見できました。
あらかじめ役場に連絡しておいて現地の地図や信玄坑の資料などを用意しておいてもらったのですが、その地図でも正確な場所は分かりづらいです。津具から稲武へ向う道を走っていると、道路沿いに「信玄坑」という看板があるので横にそれるところは分かると思います。そこから突き当たったら右に進み舗装路がなくなったあたりに更に「信玄坑入口」の看板があります。ここから山の中に入って行くのですが、地元の方の話や現地の様子をみるとすぐに左側にどんどん進んでいくように思えるのですが、そうではなくて木で隠れている右側の道を登っていくのが正解です。私はその道を見つけることができずに左側に行ってしまい、谷の急な斜面を上ることになってしまいました。久しぶりの悪路です。あまりにも急な斜面で杖も役に立ちません。とにかく坑道の入口は山のかなり上の方にありました。坑道の入口は柵で囲われていて鍵もかかっていました。すぐ近くには水が湧き出していてそのまま山の下までホースでつながれており、下で水が使えるようにされているのでしょうか?
坑道の大きさは黒川金山よりはやや小さめのように感じましたが、それでも思っていたよりは大きなもので驚きました。坑道に向って右側に道のようなものがあってそちらへ進むと尾根伝いにちゃんと階段が整備されており、苦労せずに登ってくることができるようになっておりました。もう少し親切に看板を置いておいてくれればよかったのですが…
ちなみに信玄坑入口の前の道の先にも行ってみましたがこちらは行き止まりですので行っても無駄です。

 

 
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