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群馬県高崎市

多比良城

2009年09月05日

新堀城跡

多比良城ともいい南北250m東西200mで中央の本丸は南北90m東西80mこの外に北郭東郭南郭腰郭帯郭等がある上杉の本拠平井城を本城とし西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた。箕輪軍記には永禄6(1563)年に武田勢に攻略され上杉家の家宝もことごとく焼失したと記されていた。その後天正18(1590)年3月25日多比良豊後守友定は上杉景勝の先鋒能登守信吉に降り廃城となった。
(看板資料より)

本丸付近

平井城の西2.8qにあり、同城と別城一郭の関係で、土合川とその支流の間に南から突出した台上に築かれている。永禄6(1563)年2月15日、武田信玄に攻められ、この城にあった上杉氏の家宝を焼き、城主以下自刃と伝えられる。また、天正18(1590)年3月25日、城将多比良友定は、長井信実と藤井信吉に降ったともいう。本丸は方90mで、東縁に土居があり、堀を巡らしていたのだが、北東面は崩れて腰郭状になっている。北に二段の郭があり、二の丸は東から南を囲む。追手虎口は南面中央にある。二の丸南部は突出して虎口前に横矢を払う。
(日本城郭大系より)

 

 
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