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山梨県韮崎市

将棋頭(竜岡将棋頭)

2013年09月07日

「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれています。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。特に御勅使川の周辺には、水の流れを高岩へ導くため、上流から石積出し、将棋頭、堀切等の施設が置かれていました。
この「竜岡将棋頭」は、南に配置された「白根将棋頭」と合わせて、御勅使川の洪水の流れを押えて下流の「堀切」へ導く効果があったと考えられます。
信玄堤は戦国時代から明治はじめまで約400年近く地域の人々によって維持されてきましたが、明治になって山間部が荒れ、洪水時に川が出す土砂が増えたため、この将棋頭も含めてこの付近一帯は土砂に埋没し、将棋頭は機能しなくなりました。
ここに見える将棋頭は昭和62年に発掘調査されたものです。
(看板資料より)

 



2005年01月09日

御勅使川の洪水を制御するための
「信玄堤システム」と「竜岡将棋頭」

「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれています。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。特に御勅使川の周辺には、水の流れを高岩へ導くため、上流から石積出し、将棋頭、堀切等の施設が置かれていました。
この「竜岡将棋頭」は、南に配置された「白根将棋頭」と合わせて、御勅使川の洪水の流れを押えて下流の「堀切」へ導く効果があったと考えられます。
信玄堤は戦国時代から明治はじめまで約400年近く地域の人々によって維持されてきましたが、明治になって山間部が荒れ、洪水時に川が出す土砂が増えたため、この将棋頭も含めてこの付近一帯は土砂に埋没し、将棋頭は機能しなくなりました。
ここに見える将棋頭は昭和62年に発掘調査されたものです。
(看板資料より)

御勅使南公園の管理棟の方に将棋頭の場所を教えてもらい、最初に南アルプス市側の将棋頭に行きましたが、韮崎市側にもあるとのことだったのでこちらの場所も聞きました。国道52号線を北上して御勅使川を渡って左のほうに進むとすぐに将棋頭の看板が出てくるのであとはそれに従って行けばたどり着くことができます。工場の裏手にあって分かりづらいですが、こちらも立派な将棋頭が整備されていました。


石積出し(二番堤)
将棋頭(白根将棋頭)
高岩
信玄堤

 

 
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