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山梨県山梨市

天神社

2013年09月21日

本殿

天神社の創立についての詳細は不明ですが、中世には武田氏の崇敬をうけていました。この本殿は大永2(1522)年に武田信虎によって再建されたことが、山梨市大工の丸山家所蔵の古文書及び「甲斐国志」の棟札の記載によって明らかになっています。一間社流造、檜皮葺。全体の構成は窪八幡神社末社武内大神本殿との類似性が指摘されています。背部の脇障子が江戸時代の改修により旧規を失っていますが、他は室町時代後期の姿をよく残し、清楚な形を今に伝えています。
(看板資料より)

 



2006年
01月01日

積翠寺から太良ヶ峠を経て山梨市に向いました。途中、鍵懸の関所を探しましたが見つけることができませんでした。峠付近は多少雪が残っていましたが問題なく走行することができました。峠を越えて下り道を下り終えたあたりに天神社があり寄ることにしました。静かな森の暗がりの中で静かなところでした。赤い鳥居の右上の電球が印象的でした。

天神社本殿


天神社の創立についての詳細は不明ですが、中世には武田氏の崇敬をうけていました。この本殿は大永2(1522)年に武田信虎によって再建されたことが、山梨市大工の丸山家所蔵の古文書及び「甲斐国志」の棟札の記載によって明らかになっています。一間社流造、檜皮葺。全体の構成は窪八幡神社末社武内大神本殿との類似性が指摘されています。背部の脇障子が江戸時代の改修により旧規を失っていますが、他は室町時代後期の姿をよく残し、清楚な形を今に伝えています。
(看板資料より)

 

 
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