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群馬県長野原町

海野長門守の墓

2013年01月13日

墓碑は宝篋印塔で、総高2メートル、墓碑の三方に碑文が刻まれている。
右側、上野州我妻郡羽尾城主海野長門守同舎弟能登守従往者雖有遺跡没為水災故改之
正面、雲林院殿前長州洞雲全龍居士
左側、干時元文三年戌午七月朔日宗泉五世心叟再興之
海野長門守は、中世の頃、羽根尾を拠点に領地を所有していたが、真田幸隆の岩櫃城攻略のとき、城主斉藤氏討伐に忠誠を尽くした功績で、永禄9(1566)年吾妻郡代となり、16年間激動の時代に城を守った。天正9(1581)年、真田昌幸に逆心したということで、居館の岩櫃に攻め込まれ75才を一期に11月21日に自殺した。
長門守の弟、能登守は沼田の女坂で壮烈な討死を遂げた。その墓は沼田市の史跡となっている。羽根尾は旧領だったため遺臣等がこの地に葬ったという。墓の西に並んで2基の石塔がある。
1基は海野長門守家来の霊として家臣を祀ってある。
(看板資料より)

 


羽根尾城

 

 
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