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大阪府大阪市

安居神社


2015年02月28日

安居神社由緒略記
少彦明神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。
菅原道真公の奉祀は公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後40年を経た天慶5(942)年此処にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。
菅公御神徳は誠の権化であり又学問文化の神として人々を守護し導き給うのである。
当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を賜りて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。
境内に古より、癇鎮めの井と称する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に禍され枯渇の状態にある。又大阪夏の陣における真田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。
昭和20年太平洋戦争の災禍をうけ一切の建物は烏有に帰したが、大丸を始め奉賛者の寄進により同26年春復興され現在種々の祭典が執行されている。
(看板資料より)


幸村公ふたたび
「大阪の陣」で獅子奮迅の活躍をし、「日本一の兵」と絶賛された真田幸村公は、大阪市民をはじめとし、多くの人々に今も愛され、親しまれている。
その幸村公の取り持つ縁により、大阪城と上田城は平成18年10月に友好城郭提携を結び、これを期に弊会は両市に記念碑を贈呈し、上田市民との交流を図ってきた。
このたび、上田市有志の会より、友好城郭提携3周年、新生上田市発足3周年を記念し、幸村公のふるさと信州上田のシダレザクラ、ソメイヨシノの奉納申し入れがあり、幸村公が最後を迎えた安居神社に植樹することとした。
咲き誇る桜花に、赤備えのおたけびも聞こえることであろう。
(看板資料より)


幸村公はこの境内で無念の死を遂げました。
その生き方は生きる人間の本義を貫いた人として多くの人に愛されています。
この地から幸村公ははるか故郷 信州上田を偲びまた父昌幸公を慕い
そして大阪城に思いを馳せていたのかもしれません。
幸村公の遺徳を偲びここに銅像を建立しました。
この銅像にお手をお触れください そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います。
安居神社 宮司
(看板資料より)



真田幸村陣没の旧跡
元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於て大阪の兵は城の既に恃むべからざるを知って出でて戦い、5月6日幸村は後藤基次、薄田兼相等と大和口を防がんとして河内の片山道明寺に赴き、基次等が敗死したので殿軍となって伊達政宗の兵と戦い、翌7日は天王寺附近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内一本松の下で戦死した。時に年齢49歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和26年4月24日これを記念して植樹された。
例年5月に幸村祭が盛大に行われる。
(看板資料より)

 

 
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