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         上野原町指定文化財 矢坪坂の古戦場跡 
        長峰の古道を西に進み大目地区矢坪に出て、さらに坂を上ると新田に出る。この矢坪と新田の間の坂を矢坪坂と言い昔戦場となったところである。 
        享禄3(1530)年4月23日相模国の北条氏縄の軍勢が甲斐に攻めこみ矢坪に進んだ。一方、小山田越中守の手勢が坂の上で待ちかまえ、両者は坂をはさんで対峙し、やがて激戦が展開された。 
        同所一帯は南西に切り立った崖と北西に山腹を臨み道が入り組んでいる要害の地である。この戦いは多勢に無勢、ついに小山田勢は敗退となり、富士吉田方面に逃げた。 
        現在、つわものどもが夢の跡をしのぶ影もない。ただ、たまに矢じりなどが掘り出されることがあったという。また付近に五輪塔四基、宝篋印塔一基があるが、この戦の関係のものかどうか定かではない。 
         上野原町教育委員会 
        (看板資料より) 
          
        旧甲州街道沿いに看板がありました。場所は中央高速の談合坂SAの近くでした。看板がある場所が古戦場だったわけではなさそうでそこから少し登って行ったあたり一帯とのことでした。案内板には周辺に五輪塔などがあるとのことで気になりましたが、今回は看板を見つけたことで満足して終了としました。 
        今回ここに来ることによって本来の甲州街道は中央高速沿いにあったことを知りました。そしてそのために中央高速道路建設で多くの史跡が破壊されてしまっていたことも知りました。
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