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長野県長野市

善光寺

2016年04月29日

善光寺本堂(国宝)
現在の善光寺本堂は、宝永4(1707)年幕府御抱えの名匠甲良宗賀の設計により再建された、江戸時代中期の仏教建築を代表する傑作です。
高さ約25.82m、奥行き約53.67m、総面積1425.6uの大伽藍は、檜皮葺の二重屋根を持ち、最奥部の仏堂から手前に長大な礼堂を繋ぐ棟の形が、上空から見ると、ちょうど鐘を打つ撞木のかたち(T字形)に見えることから、撞木造とよばれています。本堂の内部は入口から板敷きの外陣、畳敷きの内陣、最奥部の内々陣にわかれます。内々陣の正面奥左寄り、金襴の戸帳の懸かるところがご本尊の安置される瑠璃壇、右寄りが開山本田善光卿と奥方の弥生の前、ご子息の善佐の像が安置される三卿の間です。さらに、三卿の間の右には、ご本尊直下の真っ黒な回廊をめぐりご本尊と結縁する「戒壇めぐり」の入口があります。
7年に1度の善光寺御開帳(前立本尊御開帳)では、ご本尊のご分身、前立本尊さまが宝庫より内々陣にご遷座され、そのお厨子がご開帳されます。御開帳期間中、本堂前庭には如来さまのおいのちを象徴する大回向柱が建立され、如来さまとの結縁に集う善男女に大慈悲の光明がふりそそぎます。
(看板資料より)

本堂正面に立つ、一辺45センチ高さ10メートルの巨大な角塔婆を、大回向柱といいます。大回向柱に結ばれた善の綱は、本堂内々陣へと導かれ、前立本尊中尊阿弥陀如来の右手へと繋がれています。この大回向柱に触れることで、前立本尊との結縁が果せるといわれています。
大回向柱に書かれた梵字は、上からキャ、カ、ラ、バ、アと読み、宇宙の構成要素である五大(空、風、火、水、地)が円満に備わっている姿、すなわち五輪を表し、大宇宙に遍満する仏様のいのちを象徴しています。その下には「奉開龕前立本尊」(前立本尊のお厨子をお開き申上げます)と書かれ、前立本尊の御開帳を高らかに宣言しています。
大回向柱は、松代町(長野県松代)の松代町大回向柱寄進建立会より寄進されるならわしとなっています。松代を城下町とする松代藩は、現本堂が再建されるのにあたり多大なる貢献がありました。
元禄14年2月、松代藩主真田伊豆守幸道は、幕府より本堂普請を仰せつかりました。16年8月、小山田平太を惣奉行に、以下諸掛役人40余人、足軽百人を出役させ、宝永元(1704)年9月細工を始め、宝永4年6月藩主幸道参詣出工事視察、7月1日上楝、8月13日入仏、8月15日に供養を行いました。3年の歳月をかけ、現本堂は松代藩の普請支配と外護により完成しました。
本年奉納された回向柱は、松代町の中村神社境内に立つ樹齢約250年の杉が使われました。
(看板資料より)


善光寺山門


松代真田家の古搭

江戸時代に善光寺の外護職を務めた松代藩の藩主、真田家の供養塔です。松代藩は善光寺を保護するすると共に篤く信仰していました。境内東部には重臣らの供養塔も現存しています。松代と善光寺とのご縁は今も深く、七年に一度の善光寺御開帳の折には、本堂前に建つ大回向柱の用材を松代町が毎回寄進しています。
(看板資料より)


 



2003年5月25日

善光寺本堂(国宝)
現在の善光寺本堂は、宝永4(1707)年幕府御抱えの名匠甲良宗賀の設計により再建された、江戸時代中期の仏教建築を代表する傑作です。
高さ約25.82m、奥行き約53.67m、総面積1425.6uの大伽藍は、檜皮葺の二重屋根を持ち、最奥部の仏堂から手前に長大な礼堂を繋ぐ棟の形が、上空から見ると、ちょうど鐘を打つ撞木のかたち(T字形)に見えることから、撞木造とよばれています。本堂の内部は入口から板敷きの外陣、畳敷きの内陣、最奥部の内々陣にわかれます。内々陣の正面奥左寄り、金襴の戸帳の懸かるところがご本尊の安置される瑠璃壇、右寄りが開山本田善光卿と奥方の弥生の前、ご子息の善佐の像が安置される三卿の間です。さらに、三卿の間の右には、ご本尊直下の真っ黒な回廊をめぐりご本尊と結縁する「戒壇めぐり」の入口があります。
7年に1度の善光寺御開帳(前立本尊御開帳)では、ご本尊のご分身、前立本尊さまが宝庫より内々陣にご遷座され、そのお厨子がご開帳されます。御開帳期間中、本堂前庭には如来さまのおいのちを象徴する大回向柱が建立され、如来さまとの結縁に集う善男女に大慈悲の光明がふりそそぎます。
(看板資料より)

本堂正面に立つ、一辺45センチ高さ10メートルの巨大な角塔婆を、大回向柱といいます。大回向柱に結ばれた善の綱は、本堂内々陣へと導かれ、前立本尊中尊阿弥陀如来の右手へと繋がれています。この大回向柱に触れることで、前立本尊との結縁が果せるといわれています。
大回向柱に書かれた梵字は、上からキャ、カ、ラ、バ、アと読み、宇宙の構成要素である五大(空、風、火、水、地)が円満に備わっている姿、すなわち五輪を表し、大宇宙に遍満する仏様のいのちを象徴しています。その下には「奉開龕前立本尊」(前立本尊のお厨子をお開き申上げます)と書かれ、前立本尊の御開帳を高らかに宣言しています。
大回向柱は、松代町(長野県松代)の松代町大回向柱寄進建立会より寄進されるならわしとなっています。松代を城下町とする松代藩は、現本堂が再建されるのにあたり多大なる貢献がありました。
元禄14年2月、松代藩主真田伊豆守幸道は、幕府より本堂普請を仰せつかりました。16年8月、小山田平太を惣奉行に、以下諸掛役人40余人、足軽百人を出役させ、宝永元(1704)年9月細工を始め、宝永4年6月藩主幸道参詣出工事視察、7月1日上楝、8月13日入仏、8月15日に供養を行いました。3年の歳月をかけ、現本堂は松代藩の普請支配と外護により完成しました。
本年奉納された回向柱は、松代町の中村神社境内に立つ樹齢約250年の杉が使われました。
(看板資料より)

牛にひかれて善光寺参り
むかし、善光寺から東に十里、信濃の国小県郡に強欲で信心が薄く、善光寺に一度もお参りしたことのないお婆さんが住んでいました。ある日、川で布をさらしていたところ、どこからか一頭の牛が現れ、角に布を引っ掛けて走りだします。そこで慌てたお婆さんは布おしさに取り戻そうと一生懸命に追いかけました。そして気がついてみるとそこは善光寺。牛の姿は無く、角に引っ掛けられていたはずの布は如来の厨子の前にありました。実は布をさらった牛は善光寺如来の化身だったのです。そのことに気付いたお婆さんは自分の不信心を悔い、善光寺如来に手を合わせ、以来信心深くなって、善光寺にも度々参詣に訪れ、極楽往生を遂げたとのこと。
また、お婆さんが住んでいた近くの釈尊寺(布引観音)の寺縁起にもなっています。
(看板資料より)

7年に一度の御開帳に行ってきました。御開帳は5月31日で終わってしまうのでなんとか間に合いました。期間中は600万人の人が全国から訪れたそうで、ゴールデンウィーク期間中はディズニーランドに行った人数をも上回ったのだそうである。我々は朝6時前に到着しましたが前立仏を見るための行列は既に善光寺本堂を一周しており本堂の中に入るのにかなりの時間がかかりました。写真撮影は禁止とのことだったので本堂の中での様子を録音をしました。


回向柱

御開帳には本堂前に回向柱が建てられます。御開帳中には前立本尊さまのお手とこの柱が善の綱によって結ばれます。回向柱は供養塔婆と同じで御開帳が終るとここに納められます。
(看板資料より)


爪彫如来像

760余年前親鸞上人は善光寺へ参詣して百日間滞留されました。その際上人がこの阿弥陀如来を爪で彫られた伝えられています。
(看板資料より)


鐘楼
嘉永6(1853)年再建。6本の柱は「南無阿弥陀仏」6字に因んだもので類のない形式。
梵鐘(重要美術品)
寛文7(1667)年鋳造。高さ1.8メートル、口径1.6メートル、毎日の「時の鐘」年末の「除夜の鐘」として用いられ世評が高い更に平成8年には環境庁より「日本の音風景百選」中に認定され又平成10年2月7日には長野冬季オリンピックにおいて開会を告げる鐘として全世界にこの音を響き渡らせました。
(看板資料より)

 


2000年7月20日
日本最古の御仏を祀る善光寺は日本を代表する霊場であり、法燈連綿として約1400年の歴史を経て今日に至っております。寺伝によれば皇極天皇元(642)年に創建されてから11回の火災に遭いましたが、その度ごとに全国庶民の如来さまをお慕いする心によって復興され護持されてきました。
御本尊「一光三尊阿弥陀如来」さまは、インド・朝鮮半島百済国を経て、欽明天皇13(552)年に日本に渡られた三国伝来の御仏で、秘仏となっております。善光寺はいずれの宗派にも属さず、すべての人の往生極楽の門として、また現世の安隠をお与え下さる大慈悲の如来さまとして、広く深い信仰を得ております。如来さまとのご縁を深められ、心に安らぎと、力強く生きる力を頂いてください。
(パンフレット資料より)

善光寺の御本尊である「一光三尊阿弥陀如来」については甲斐善光寺の方でで詳しく教えてもらいましたが、第4回目の川中島の合戦が起こる前に信玄によって甲府に一度移されましたがその後元通り善光寺に戻ってきて秘仏となっているそうです。


善光寺本堂

本堂(国宝)
宝永4(1707)年に完成した本堂は高さおよそ30メートル、間口24メートル、奥行き54メートルの主屋の四周に裳階を付けた縦長の建物で柱をすべて丸柱とし、三手先組物で深く高い軒を支え、T字方形の棟を持つ入母屋造桧皮葺の屋根をかける。この形が鐘や鉦を打ち鳴らす撞木に似ているので撞木造りと呼ばれている。その規模は広大で、江戸時代を代表する仏教建築である。
(パンフレット資料より)


六地蔵

濡仏の南に参道に向かって並列する。六地蔵は六道(人間の死後の6つの世界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)でそれぞれ人の苦しみを救う仏さまである。
(パンフレット資料より)

 

 
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