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長野県北佐久郡立科町

芦田

2003年06月29日

芦田城は、鎌倉期に滋野系芦田氏により築城された山城と推測されている。坂城の村上氏が小県、佐久地方に侵入するに伴い村上氏の配下である小県の依田氏と高井の米持氏は連合して芦田城主滋野重房軍を急襲、ついに落城し平安以来続いた滋野系芦田氏は滅亡した(依田系芦田滅年 文明18年:1486年)。
新たに領主となった依田又三郎光徳は姓を芦田に改め城を再建整備し居館を芦田川を挟んで城と相対して構えた。
光徳より5代目芦田信守の代には戦国時代となり要害の地を求めて春日城を共有(天文13:1543年)。武田氏の配下となり川中島や東海地方に戦功をあげた。芦田氏の中で天下に名声を博したのは6代信蕃で、武田氏滅亡後徳川家康の佐久統一の命を受けほぼその任を果たし弟と供に岩尾城攻めで戦死した(行年36才)。信蕃の戦功により7代目の長男は14才にして姓を松平、名を康国と主君より康の字を与えられ6万石の小諸城主となった。
天正18年秀吉の小田原攻めに康国出陣、名倉城攻撃、落城に際し敵の計略にかかり死亡、時に康国21才であった。弟康貞がその後を継ぎ藤岡城主3万石に転封された。佐久の武士や領民など主君を慕い、多く藤岡に移住し城下町を築いた。
(看板資料より)


芦田城からの景色

ここはカーナビの指示通りに行ったらたどり着くことができず、あきらめて次に行こうとしたのですが偶然別の道からチャレンジしたら、さきほどカーナビで案内された道の反対側(道はつながっていた)に出ることができ、更に城址の入口まで車で行かれるのでとにかく勇気を出して突進していくことが重要です。


田の口城
蕃松院

 

 
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