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長野県長野市

長国寺

2005年09月24日

国指定史跡 旧松代藩主墓所
歴代藩主墓所
初代藩主霊屋[重要文化財]
四代藩主霊屋[県宝]
開山堂[県宝]
墓域の一部をのぞく長国寺の全域が国の史跡に指定されている。
(看板資料より)

拝観料を支払うとお寺の方が丁寧に説明してくれます。もちろんパンフレットも頂くことができます。真田信之の霊屋などはその場所だけタイムスリップしたかのような気分になるほど神秘的でした。ちょうど米沢の上杉家廟所のようなイメージでした。拝観料を支払って是非見学することをお勧めします。またここでは触れていませんが墓所には古い墓石がたくさんあり、真田家の家臣の墓とのことでした。

長国寺は、天文16(1547)年、真田幸隆公(1513〜1574)が、真田郷の松尾城内に真田山長谷寺として建立し、畏敬する伝為晃運禅師(1573年歿)を開山第一世に招請した、真田家の菩提寺です。永禄7(1564)年松尾城外に移され、本格的な禅刹としての諸施設を整えましたが、元和8(1622)年、上田藩主だった真田信之(1566〜1658)の松代移封にともなって現在地に移転し、寺号も長国寺と改めて、今日に至っています。
(長国寺パンフレットより)


史跡 松代藩主真田家墓所

松代藩主真田家は元和8(1622)年、上田から松代に移封され、菩提寺長国寺も移された。松代初代藩主信之始め歴代の霊屋が長国寺伽藍の裏(東)に建てられ、その東南の一郭に歴代の墓地が設けられた。
霊屋はもと五棟あったが、現在は信之霊屋(重要文化財)と4代信弘霊屋(県宝)の二棟が残るだけである。3代幸道霊屋は本堂裏に移建、開山堂(県宝)になっている。
墓地は白土塀に囲まれ、歴代10代の藩主やその子女の墓碑がある。墓碑は宝篋印塔が21、地蔵型塔2基等で、ほかに12基の献灯がある。信之の墓にだけ石の鳥居がある。ほかに真田家中興の祖で信之の祖母に当たる幸隆、叔父信綱、父昌幸、弟幸村、その子大助らの供養塔や碑がある。信之の母、妻、歴代藩主夫人などの墓は別の寺にある。
霊屋と墓所が一体として残っていて、江戸時代の大名家墓所を知る上で貴重であるのでこの墓所をはじめとして、境内一帯が国の史跡に指定された。
(看板資料より)

真田幸村、真田大助の供養碑

真田信之の墓

真田幸隆、真田信綱、真田昌幸の供養塔


真田信之霊屋

国指定・重要文化財
この霊屋は松代真田家初代真田信之の菩提のため没後2年目の万治3(1660)年に建立されたもので、宝殿と表門から成っている。宝殿は桁行3間、梁間4間の入母屋造りで正面に千鳥破風をつけ軒唐破風の一問向拝を設け、四面に縁をめぐらし高欄を設けている。内部は畳敷。格天井を張り中央に格子戸を入れて内・外陣に仕切り、内陣奥に禅宗様仏壇をおいて位牌を安置する。建物外部には、獅子と霊獣、唐草、竜、りす、ぼたん、鶴に松などの彫刻、塗金の透し彫りの唐草、六文銭などが施されている。
内部も欄間には、鳳凰の彫刻を入れ、壁天井には花鳥を描き、柱貫・組物にもすべて極彩色を施した豪華な衣裳から成っている。
表門は切り妻造り、こけら葺きの四脚門で、棟木は、中央に六文銭を刻んだ板蟇股を入れている。
この霊屋は、地方藩主のものとしては比較的規模も大きく、且つ豪華で時代も古く、霊廟建築の遺構として甚だ価値が高い。
(看板資料より)

普段は鍵がかかっていて入ることができないようになっていますが、拝観料を支払ってお願いすれば墓所や霊屋を見学することができます。真田信之の霊屋は大鋒寺にもありますが、こちらの方が立派です。

表門


真田信弘霊屋

真田信弘霊屋および表門
旧松代藩主真田家4代信弘の霊屋で、元文元(1736)年信弘死後直ちに建てられたものである。
方三間の宝形造こけら葺きで、四方に縁を廻らし、擬宝珠高欄を付し、正面中央に桟唐戸を吊り、他の三方を縦桟の舞良戸のはめごろしにしている。
組物は、出組・詰組で、軒は二軒繁垂木、装飾は外部の頭貫と内法長押の間を唐草の透彫(彩色)で飾るほかは、至って簡素である。内部は梁行の心に半柱を入れて、内、下陣境をつくり格子戸を入れている。柱筋でないところに間仕切りを設けるなど信之霊屋と時代的相違を示している。欄間は天人の高肉彫(彩色)の彫刻で飾り、天井は格天井である。現在は、歴代藩主夫人などの位牌が置かれいる。
表門は禅宗様を取り入れた、こけら葺四脚門である。
(看板資料より)

表門


開山堂

長野県宝 長国寺開山堂
この開山堂は、もと松代真田家3代幸道(初名信房、法名真常院殿全山一提大居士)の霊屋として建立されたものである。幸道は享保12(1727)年5月死去したが、その後間もなく長国寺境内裏手の真田信之の霊屋の脇に建立されたものであるが、明治5年同寺が伽藍諸堂を焼失し、同19年本堂再建の際、この幸道の霊屋を本堂後に引き移して開山堂にあてたものである。
堂は方三間の宝形造、桟瓦葺で、もと回縁向拝付であったが、今は撤去されている。
正面中央に桟唐戸をつり、他は縦桟の舞良戸はめ殺しとし、円柱に組物は出組詰組、軒は二軒繁垂木で、装飾は外部の頭貫と内法貫の間に唐草の透彫を入れるだけで極めて簡素である。内部は内外陣の仕切り、陣境に格子戸を入れ欄間に高肉彫の彫刻を入れ、奥に禅宗様仏壇を置くなど、信弘の霊屋と同じである。
(看板資料より)

 

 
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