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長野県長野市

真田邸

2004年05月22日

松代城跡のうち唯一残った建物です。この建物は文久2(1862)年の改革のおり、参勤交代制度が緩められ、江戸住まいを命じられていた9代藩主の母お貞の方が松代に帰ることとなり、その居宅としてつくられたものです。明治時代からは真田家の居宅となっていましたが、昭和41年に寄贈を受けました。
(真田宝物館内展示より)

新御殿
徳川幕府は寛永12(1635)年諸大名に参勤交代を命じ、同時にその妻子を江戸に人質とすることにした。228年後の文久2(1862)年、この制度が大幅に緩められ、妻子の江戸詰めがとかれた。そこで真田家では、藩主幸教の母お貞の方(幸良未亡人)の松代における隠居所として、文久3年家老赤沢蘭渓を奉行に任じて工事に着手。元治元(1864)年完成した。藩主より「新御殿」と称するように口達があり「水心秋月亭」と名づけられた。尚、お貞の方は大和郡山藩(奈良県)松平甲斐守保泰の娘である。
(看板資料より)

松代城跡附新御殿跡
松代城内の諸建築のうち、唯一残ったのがこの新御殿跡(真田邸)である。新御殿は、文久2(1862)年の参勤交代の緩和により、九代藩主・真田幸教の母お貞が松代に帰るにあたっての住居(隠居所)として建てられたものである。明治維新後は真田家の私邸となり、昭和41年に当時の松代町に寄贈された。
新御殿は、文久3年から翌年にかけて建築工事が行われた。その後明治時代に東南部の「御役所」や二階部分を増築するなど部分的な改造が行われ現在に至っている。新御殿は、幕末期に建てられた大名の別邸という性格をもつ。こうした建物の現存例は全国的にみても稀である。
(看板資料より)

 

 
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