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愛知県新城市

大通寺

2005年02月11日

大通寺と盃井戸
達磨山大通寺は応永18(1411)年の創立と伝えられるが、天正時代の兵乱で焼失し、後に琴室契音大和尚に改宗し、地蔵大菩薩を本尊として草創開山した。
天正3(1575)年の長篠の戦の時には、武田軍の武将馬場信房、武田信豊、小山田昌行らの陣地となり、設楽が原に出撃して織田・徳川の連合軍と決戦することになった時、諸将がこの寺の井戸に集まり、その水をかわし合って訣別の盃として出陣して行った。その後このことから盃井戸と呼ばれている。
(看板資料より)

盃井歌碑
盃の井にて 浩
これまでと汲みかはしたる盃の
みづもみにしむ長篠の里
この歌は明治13年12月、当時名古屋鎮台の参謀山川浩大佐(後に陸軍少将男爵貴族院議員)が現地を訪れた時詠まれたものである。
(看板資料より)

大通寺の盃井戸とは別に同じような話が残されているのが武田諸将訣盃之跡であり、ここにも先日訪れたが大通寺の方が長篠城に近いのでもしこちらだとするとより早い時期に盃を酌み交わしていたのでしょう。ちなみに「長篠日記」、「三州長篠合戦記」などには大通寺で最後の盃を交わしたと記されている。また盃を酌み交わしたのは馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の四将といわれているらしいのですがこの出典は不明です。


武田諸将訣盃之跡

 

 
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