| 田峯城 | 
2014年03月23日  | 
    

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         田峯城は県下有数の高山である段戸連峰を間近に控え、寒狭川の渓流をはるかに見下ろす標高387mの独立丘陵にある山城です。本丸から見下ろした寒狭川の蛇行と城をいただく山並みが、まさに大蛇のようであることから田峯城は別称「蛇頭城(じゃずがじょう)」「竜の城」とも呼ばれていました。田峯城は文明2(1470)年菅沼定信によって築かれ、定信→定忠→定広→定継→定忠と、代々田峯宗家菅沼氏の居城とされました。  | 
    
空掘・橋

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         空掘には木橋が架けられ、事ある時にはここで敵の侵入を防いで戦闘体制をとったと考えられています。  | 
    
表曲輪

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         田峯城の入口近く(表側)にあることから表曲輪と称されています。  | 
    
無名曲輪

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         言い伝えなどに名前の出てこない曲輪のため、このように称されるようになりました。  | 
    
井戸曲輪

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         井戸跡もなく、掘っても水の出る地形ではないため、天水を貯える設備があったと考えられます。  | 
    
蔵屋敷

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         蔵があった場所で、当時この蔵には、食物や武器などが保管されていたと考えられます。  | 
    
畷曲輪

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         狭い面積の曲輪であることから、その意を示す畷の字が使われていたと考えられます。  | 
    
田峯城本丸

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          中世戦国時代の山城、田峯城は、当時の武家屋敷をしのばせる書院造りという様式を用いて復元しました。書院造りとは、それまでの公家文化でいう寝殿造りが変化して確立した建築様式です。中世の一時期には寝殿造りにおける「寝殿」の略化したものを「主殿」と呼ぶ建築が、公家、武家の間で一般化していました。田峯城の「御殿」は、この「主殿」を参考にしています。  | 
    
本丸大手門

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         本丸大手門とは、田峯城の中心となる本丸への正式な表門です。板葺の棟門で、質実剛健な戦国時代の武家屋敷をしのばせる門構えです。  | 
    
物見台

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         物見台とは敵の襲来等に備えた見張台のことをいいます。この物見台は矢を射かけられた場合の防御のために、二階部分の縁が手すりでなく板貼りとなっています。  | 
    

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         由来記 
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2003年10月11日  | 
    
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空掘・橋
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        空掘には木橋が架けられ、事ある時にはここで敵の侵入を防いで千党体制をとったと考えられています。  | 
    
表曲輪
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        田峯城の入口近く(表側)にあることから表曲輪と称されています。  | 
    
無名曲輪
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        言い伝えなどに名前の出てこない曲輪のため、このように称されるようになりました。  | 
    
井戸曲輪
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        井戸跡もなく、掘っても水の出る地形ではないため、天水を貯える設備があったと考えられます。  | 
    
蔵屋敷
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        蔵があった場所で、当時この蔵には、食物や武器などが保管されていたと考えられます。  | 
    
畷曲輪
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        狭い面積の曲輪であることから、その意を示す畷の字が使われていたと考えられます。 
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搦手門
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         田峯城本丸  | 
    
厩
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本丸大手門
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物見台
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