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長野県長野市

祝神社

2011年12月
30日

延喜式内社埴科郡5社の一つで千年以上の歴史を有す。松城城下時代は町方の産土神、総鎮守社として祀られ、いまも親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれている。
慶長3(1598)年に、生魂命は東条から、健御名方富命八坂斗売命の諏訪二神は海津城二の丸から合祀された。本殿は一間社入母屋造り銅瓦葺き、拝殿は間口4間、奥行7間、瓦葺き。見事な立川流の彫刻が刻まれる。
境内には稲荷社、八幡社、天神社、西宮神社(恵比寿神社)、猿田彦社、宗像社などがあり、学問、商業、家屋敷、食物、治水、漁業、道案内他、八百万の神が祀られる。
(看板資料より)

本殿

古老の伝えるところによれば、当社の本宮は東に20余町、同郷東条山上にあり、廃絶して既に久しいけれども、なお旧跡が残っているという。この神社は俗にいうところの里宮で、海津城を築いた時に、その二の丸の規格の中に入るため、武田氏が以前から信仰した諏訪の神を勧請して海津城鎮守諏訪大明神と称して崇敬したものである。
(長野県の武田信玄伝説より)

八幡社

余り広いとはいえない敷地の中に数々の社が立ち並んでいました。堀のようなところもあって宗方社が中の島のようなところにありました。
神社の方が境内の掃除をしていました。

宗方社

 
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