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山梨県笛吹市

石和八幡宮

2004年08月14日


八幡宮信仰は、源氏一門がとくに尊崇した神であり、始祖頼信が永承の頃(1050年頃)石清水八幡宮へ奉納した願文によっても清和源氏の氏神であったことがわかる。八幡宮は、応神天皇または八幡神(三神一体)の神に対する信仰で、源氏がとくに武神として崇め、神社の配置形式は独特な八幡形式を持っている。頼信の子頼義は石清水の社前で、長子の加冠の礼を行った。これが八幡太郎義家である。康平6(1063)年、頼義は石清水八幡宮を鎌倉に勧請して鶴岡八幡宮とした。当社の社記によると、武田氏の祖信義の子信光(石和五郎)が建久3(1192)年、鶴岡八幡宮をこの地に勧請して、石和八幡宮として郷の産土神とした。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三神であり、武田氏の尊崇あつく、甲斐源氏の射法相伝の儀式はすべて当社で行われたといわれる。
永正16(1519)年、武田信虎が川田の地から躑躅ヶ崎に居館を移すとともに、当社を府中に勧請して府中八幡宮としてからも、武田家の厚い崇敬を受けて栄えたが、天正10(1582)年、武田家滅亡のおり、織田軍の兵火にかかり社殿のすべてを灰じんに帰し、翌年徳川家康の寄進によって社殿が再興されたといわれる。
現在の建物は安永3(1774)年、従来の三棟を一棟にして建立されたもので、拝殿、随神門ともに石和最古の建築である。浅野長政以来歴代の国主、甲府勤番支配は当社に参拝することを例とし、本殿には記録が納められている。また拝殿には、豊臣時代の奉納と思われる竜、駒の一対、亀山上皇湯立図、加藤清正、小西行長と朝鮮王宣和との講和図一対の幅五尺もある大きな絵馬があり、この他江戸時代の絵馬多数もあって歴史上貴重なものとされている。
(看板資料より)

 

 
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