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永禄11年11月、武田信玄に駿府を攻略された今川氏真は今川家重臣朝比奈備中守泰朝を頼って掛川城に入った。ついで氏真を攻める徳川家康は掛川城周辺に4つの砦を築き、そのうち青田山砦には三河竹谷の松平玄蕃頭清宗が同じ三河形原の・東条両松平氏と共に拠り、翌年1月23日の戦闘に神代寺川を渡って大手門から二の門に攻め入ったという。清宗はこの戦功で家康から青田山山麓にある上張・亀甲二村を賞賜されている。
西陣場山頂には東西38m、南北13mの曲輪があり、南東に延びる尾根を20mほど行くと8m平方の物見所が設けられ、はるかに高天神城方面を俯瞰できる。廃城後も天正2(1574)年5月武田勝頼が高天神城を包囲した時、城将小笠原長忠が浜松の家康に援軍を請うため匂坂牛之助を密使として出し、その是非を青田山で狼煙を上げて連絡するように命じた地点と考えられる。この砦は永禄12年5月、徳川市との講和がなって今川氏真が小田原に退去し、掛川城が開城されたことにより廃された。
(日本城郭大系より)
陣場峠(青田山砦)
場所は掛川インターチェンジを出たところで市立総合病院の南側であるらしいとのことでした。最初に目的地にセットしたのは青田隧道でしたが現場まで来てみるとさすがにここではなさそうでしたので西側にもう一本ある新青田トンネルを越えてみました。そのまま進んで右折し新青田トンネルの真上付近にあった福祉施設まで行ってみましたが分かりませんでした。しかしそこで散歩中のご婦人に会うことができ、話を聞いてみると私が行きたがっている場所は多分陣場峠であるとのことでした。場所は青田隧道の更に向こう側で大体の行き方まで教えてくれました。車で茶畑の中を進みこれ以上登れないという所で車を置いてあとは歩いて上りましたが目的地はすぐ近くでした。登り切った所に看板があって更に先には塩の道の看板などもありました。更にその先はまるで展望台のようになっていて市立総合病院や掛川市内が一望できました。断崖絶壁になっているので気をつけないとかなり危ない所です。
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