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群馬県高崎市

木部城

2013年01月01日

北側を鏑川の河跡に依託して築かれた木部氏の城である。永禄6(1563)年、武田信玄はここに陣して倉賀野城を攻めているので、木部範虎父子は箕輪に逃れたのであろう。範虎の室は長野業政の女で、箕輪落城の際榛名湖に投じ竜と化したと伝えられ、湖畔に木部神社があるが、類似の伝説が武蔵蕨城や、吾妻善導寺にもあり、湖畔の石碑の年号は明徳4(1393)年4月8日とあって伝説の信じがたいものであることがわかる。範虎は天正10(1582)年、天目山で武田勝頼に殉じ、その子貞朝は天正18年小田原に籠城して北条氏と運命を共にした。
本丸は方70m、二の丸内の東西に偏し、北と東に虎口があり、東のものは追手虎口との間に桝形門に似た機能を示す。二の丸は南にも虎口を持っていた。近年ほとんど破壊され、一宇の石宮を残すのみとなった。
(日本城郭大系より)


復元された石垣

総門の復元新築と石垣の復元
総門の復元新築
 落慶法要 平成4年8月2日
土塁石垣の修復
 雷神を祭ると伝えられる土塁石垣の修復
 雨乞い祈願 木部村では昭和30年頃まで榛名神社の御神水を木部城主の墓前と雷神に供え雨乞い祈願を行ってきた。心洞寺の雨乞いに霊験あらたかで近隣の村々の期待を集めた。
 落慶法要 平成8年9月彼岸
(石碑記載文章より)


木部城主の廟

当寺の開祖木部駿河守範虎公は、清和源氏の直流蒲冠者源範頼の後裔にして、箕輪城主長野業政の姫を娶り長野氏の武将として活躍せしが、永禄6年2月武田信玄により箕輪城が落城(この戦で奥方が榛名湖に身を投じて龍になったという伝説は有名)
長野氏滅亡後、武田信玄に随身し木部50騎を率いて各地の戦に勇名を馳す。後織田信長に長篠の合戦に敗れ、天正10年3月11日武田勝頼に殉じ家来諸共天目山桔梗ヶ原に散る。享年72才
戒名 全清院殿心洞芳傳居士
室  龍體院殿天生證真大姉
(石碑記載文章より)

 

 
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