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群馬県高崎市

根小屋城

2013年01月01日

本丸

武田信玄の財宝
世に名高い川中島の合戦は、信州の善光寺平であるが、この附近においても天文18(1549)年新たに武田信玄の手に加わった上州の先手を案内し、甲軍が西上州に侵入した三寺尾の合戦以来、甲越両軍の激突は、永禄9(1566)年上杉方の牙城箕輪落城まで続いた。信玄は数年後、この山名丘陵の一部に狼煙城を築いている。新附の上州の諸将を監視するためである。その城は現在根小屋城址と呼ばれている保塁址である。
ところでその頃信玄は、上州での軍資金を根小屋城近くの尾根に埋め、事に備えたという話が伝わっている。古老の話ではその場所で足を踏むと、足下は空洞で音が響くので鳴るが尾根というそうである。
10年ほど前、麓の村で戦国の古銭を拾った小児のことが新聞に載ったことがある。
(看板資料より)

空堀

根小屋城の築城については、上野誌・関東古戦録等に、永禄11(1568)年或いは13年に、武田信玄が山名、鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡望月の城主望月甚八郎、同じく伴野庄の住人伴野助十郎を入れて守らせたと明らかに記されている。鷹の巣とは現在の寺尾公民館上の御嶽山から登りつめた所の城峯神社のある茶臼山城址のことである。永禄5年箕輪城を落とした信玄は、西上州を手中におさめて、北条氏康、上杉謙信と対峙していた。この城は狼煙台として、新附の倉賀野、木部、和田の諸将を監視するため、守兵は信州の信頼出来る将兵を入れたものである。
なお根小屋とは平素城兵の居住する所をいう。従ってこの地名の所には必ず山城の址があるはずである。
(看板資料より)

竪濠

山名城から高崎自然歩道を歩いていくとたどり着くことができます。途中数人の方とも会いました。地元の人々の散歩道になっているようです。尾根伝いに歩いていくと城の搦手門から入っていくことになります。根小屋城の案内板のところから右周りと左周りを選ぶことになりますが、私は左周りルートを選択して行きました。本丸の周囲を空堀と土塁が廻らせてあってその土塁の上を一周歩くことができます。途中、井戸跡や竪濠跡など案内板があり良く整備されています。
本丸周辺以外にも遺構はしっかりと残っていて見ごたえのある山城跡です。

井戸跡

 
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