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山梨県南部町

香積寺跡

2021年08月07日

穴山彦九郎の墓

香積寺跡の穴山彦九郎の墓は奇麗に整備されてすっかり様子が変わっていました。国道52号線の清水原の交差点を東に向かって行って右カーブの方には行かずに真っすぐ行くと右側にあります。

 


2012年04月15日

穴山彦九郎の墓

「甲斐国志」に中野村慈眼寺の位牌に「永禄2未年6月4日慈眼寺実法宗幽居士」とあり、寺記に穴山信君の弟彦八郎と伝承されていることを紹介している。「甲斐国志」はこれを彦八郎信嘉のことと推定しているが、同書には「身延過去帳」に己未3月5日宗金穴山彦九郎13歳、又武田彦九郎という人物も紹介している。己未の干支は永禄2年のことであり、慈眼寺に残されている穴山信君の弟とは彦八郎信嘉ではなく、彦九郎のことであると考えられる。永禄2年に13歳で死去しているのでその生年は天文16年ということになる。
高野山成慶院所蔵「武田家過去帳」によると、没年は永禄2年3月29日で、法名は「香積寺殿玉映宗金禅定門」と記載されている。なおこの法名に含まれる「宗金」は「身延過去帳」の記載と一致する。また「武田家過去帳」は彦九郎を「穴山信友三番目ノ御子息也」「13歳ニテ卒」と明記している。生母は武田信玄姉南松院か信友側室と推定される「理性禅定尼」であろうと思われる。墓所は廃寺となった香積寺跡(南部町中野)に残る。
(平山優著 穴山武田氏より)

 

 
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