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山梨県南部町

香積寺跡

2012年04月15日

穴山彦九郎の墓

「甲斐国志」に中野村慈眼寺の位牌に「永禄2未年6月4日慈眼寺実法宗幽居士」とあり、寺記に穴山信君の弟彦八郎と伝承されていることを紹介している。「甲斐国志」はこれを彦八郎信嘉のことと推定しているが、同書には「身延過去帳」に己未3月5日宗金穴山彦九郎13歳、又武田彦九郎という人物も紹介している。己未の干支は永禄2年のことであり、慈眼寺に残されている穴山信君の弟とは彦八郎信嘉ではなく、彦九郎のことであると考えられる。永禄2年に13歳で死去しているのでその生年は天文16年ということになる。
高野山成慶院所蔵「武田家過去帳」によると、没年は永禄2年3月29日で、法名は「香積寺殿玉映宗金禅定門」と記載されている。なおこの法名に含まれる「宗金」は「身延過去帳」の記載と一致する。また「武田家過去帳」は彦九郎を「穴山信友三番目ノ御子息也」「13歳ニテ卒」と明記している。生母は武田信玄姉南松院か信友側室と推定される「理性禅定尼」であろうと思われる。墓所は廃寺となった香積寺跡(南部町中野)に残る。
(平山優著 穴山武田氏より)

 

 
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