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山梨県南部町

長谷寺跡

2012年04月15日


穴山信嘉の墓

穴山信君の弟で、信友の次男。仮名は彦八郎。「甲斐国志」等に記述から、諱は信邦とされてきたが、高野山成慶院「檀那御寄進状并消息」に「穴山彦八郎信嘉」と明記されていることから、信嘉が正しいことが明らかとなった。
生母が誰か判然としないが、兄信君と同じく武田信玄姉南松院か、穴山信友の側室と推定される「理性禅定尼」の可能性もある。
身延山に残されていた過去帳から、穴山彦八郎が身延山久遠寺の塔頭で自害したと記されている。彼が自害したのは永禄9年ということが確認される。その理由とは時期的に見て義信事件に関与したからであろう。穴山氏と今川氏との伝統的な関係を考慮に入れれば武田家嫡男であり、今川派の筆頭でもある武田義信に穴山氏が荷担したとしても不思議はない。信君は信玄派に、信嘉が義信派となったが、計画が永禄8年に露見したため、穴山彦八郎信嘉は捕らえられたのであろう。
(平山優著 穴山武田氏より)

 

 
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