| 丸子城 |
2004年05月01日 |
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丸子城は室町記の初めから、戦国動乱の終わりまで約150年間、今から400〜550年前にかけての中世の山城で、京都と鎌倉を結ぶ東海道の大動脈だったこの地区を押え駿府の西の防衛拠点としての要城でした。別名を宇津ノ谷城、三角山城とも言われ今川、武田両戦国大名によって標高136メートルの三角山を中心に尾根沿いに南北約500メートルにわたって多くの曲輪が階段状に築かれ、今川氏の北城と武田氏の南城を連結して武田流の山城として完成したものです。天険を巧みに利用したこの城は当時の遺構がそのまま現存することでも有名でその保存度は県内中世山城の随一で、全国的にもあまり例を見ない貴重な山城遺跡であるといえます。 |
武田時代の本丸
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丸子城はあまり気にとめていなかったのですが来てみて驚きました。北側が今川の時代の本丸、南側が武田の時代の本丸だそうです。麓のお寺に車をとめて登ってくるのは疲れまずが、登りきったところが武田の時代の本丸です。そこから今川の時代の本丸まであまり時間もかけずに行くことができるので是非そのまま進みましょう。次々と曲輪があってそれを仕切る堀、左側は延々と堀が続き、右側は断崖絶壁、まさに自然の地形を利用した、今見てもはっきりと分かる遺構が残っています。 |
二の丸
三の丸
今川時代の本丸
奥の三日月堀

西の空堀