長野県長野市
諸角豊後守の墓及び明治以降に建てられた記念碑である。諸角豊後守虎定は永禄4年の川中島合戦で81才で戦死したとのこと。一説には信玄の曽祖父信昌の末子(信縄、信恵らの弟)ともいわれている。合戦では信玄の弟典厩信繁が討死した後を追うように奮戦の末討死したという。 新田次郎氏の小説武田信玄では、信玄の長男義信とともに八幡原の鶴翼の陣の右翼を守っていたが、若い義信が上杉方の策略により重囲に陥ったところを、「義信様が討ち取られるようなことがあっては武田軍の敗北は必至である」と感じた諸角豊後守虎定が身代わりのようになって討死したように書かれていたし、浮世絵などに描かれた諸角虎定なども見ているので若き猛将といったイメージだったのですが、今回お墓を参拝させていただいて初めて信玄の曽祖父信昌の末子の説や81才で戦死したことを知りました。
→慈照寺