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長野県長野市

長沼城


2007年05月20日

長沼城址
戦国期から江戸初期にかけての平城である。この地は天然の要害である千曲川、また北国街道(越後街道)に通じる渡河地点として海津城に次ぐ北信濃の最重要拠点であった。元は太田荘地頭の島津氏の居所であったが、戦国初期は長尾(上杉)方に属し、その後武田氏方により改めて築城されている(1566)。
天正6(1578)年、武田勝頼が入城。武田氏滅亡(1582)後は織田信長の将森長可、上杉景勝、旧主島津忠直と変わる。
元和元(1615)年佐久間勝元が長沼藩1万8千石で入った。元禄元(1688)年4代目佐久間氏のときに徐封されて、幕府領となり廃城した。現在地は天王宮が祀られたところで、城本丸はここより北200mのところにあった。
(看板資料より)

今回の史跡探索の主要な目的地のひとつであったのがこの長沼城でした。長沼城の場所と思われる付近を目的地にして現地に向いましたがなかなか場所が分からず軽トラのおじちゃんに場所を聞きました。それによると千曲川の土手沿いの道を北上していくと左側にたくさん木があるのですぐに分かるとのことでした。土手の道に出て北上していきましたがなかなか見つけることができませんでした。あきらめかけていた時にこれで最後にしようと思いながら土手から下って木の下にある塔や大きな石があるところに行ってみたらなんと長沼城跡と書かれた石を発見しました。なんとか長沼城跡を見つけることができました。
城跡の割にはその形跡を感じることができませんでした。看板の説明資料には「本丸はここから北に200メートルのところにあった」と書かれていたのでここが長沼城ではなかったのかもしれません。

 

 
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