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長野県長野市

髻山城


2007年05月20日

髻山城址
ここ髻山城址は戦国時代数次の川中島合戦において、葛山・天峰山・旭山・横山・飯山の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するため越後(現新潟県)の勇将上杉謙信の重要な砦であった。
当髻山城は、本陣横山城と飯山城の中間に位置しその眺望は大変すぐれ、東南には妻女山・犀川・千曲川・川中島平等敵味方の動静を見渡せ、西北には北信五岳から越後の空を見渡すことができる。眼下には自軍の動脈である北国街道を見守った。
弘治3(1557)年武田軍の髻山城攻撃の際の猛将長尾政景の大奮戦、また永禄4(1561)年川中島大決戦後の撤兵収束の見事さを後世に残した名将宇佐美定行の采配ぶり打ち上げる狼煙等々戦史を彩った幾コマかがこの城に残されている。
「宇佐美沢」(髻山入口)、「馬かくし」(城址北側の空掘)、「抜け穴」城址中央の穴(城外との連絡用)等の地名によって追想することができる。
(看板資料より)

髻山城に観音清水があるというので寄ってみました。カーナビで髻山城らしき場所を目的地にセットして現地に向いましたが、北国街道から入って行く道が狭くて躊躇してしまいました。一度通り越してしまいUターンしてきて思い切ってその狭い道に入っていきました。入ってしまえば思ったより狭い道ではなくそのうちりんご園のようなところに出ました。そこから少し登って行ったところに車を止めてそこから先は徒歩で登っていきました。登りになる前に観音清水を見つけることができました。上杉謙信が掘らせた清水とのことでコップも置いてあったので一杯頂きました。冷たくて美味しい水でした。
頂上には祠と古い案内板と屋根付きの休憩所がありました。少し立派な案内板がありましたがこれは三角点の説明板でした。ここからの景色も素晴らしかったです。善光寺平を北方から見たのは初めて?かもしれません。


観音清水の由来
戦国の昔、髻山に出陣した上杉謙信が山中に水を求めて井戸を掘らせた。しかし兵を養うに十分な水量が得られなかった。そこで自身の守り本尊として大切にしていた黄金の千手観音を井戸に投じて祈願したところ、こんこんと水が湧き出したという。
(看板資料より)

観音清水復元について
この清水は近年まで周辺の集落で生活用水として利用されていましたが、無人となり封鎖されたまま放置されていたものを地権者の協力とトレッキングコース愛護会により整備し復元したものです。トレッキングコースの名所として、往時を偲ぶよすがとなれば幸いです。
(看板資料より)

 

 
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