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愛知県新城市

首洗池

2012年05月04日

三河東郷駅より道を北にとって信玄塚に向かう途中、坂の右手に赤く濁った池を見ることができる。これが首洗い池で別名太刀洗い池とも呼んでいる。
この池は、昔からいつも赤く濁っていて澄んだことがないのは、設楽原の戦いの時、首や刀や武具などの血を洗ったために水が赤く染まり、以来年経てもついに澄むことがなかったのだと言い伝えられている。そう思って見ると、赤濁りの水の色に多くの死者の怨念が込められているようで、不気味な思いに駆られた人も少なくないはずである。また、かつてこの地に群生していた「ひし」の実を取って、まるで角の立ったようなかっこうから鬼を想像した、幼い日の思い出を持つ人もかなりいるのではなかろうか。
もともとこの池は土地の人が、防火用を兼ねた水田灌漑用として造ったものであるが、今は大量の土砂が流れ込んで、満々と水をたたえた昔の面影を見るすべもない。だが、人の世の浮き沈みを映して幾星霜、池はその思い出の数々を土砂として、自らの中に堆積しているのかもしれない。
(かるたでつづる設楽原古戦場より)



2006年05月05日

かるたでつづる設楽原古戦場によると、首洗池は別名太刀洗池とも呼ばれており、昔からいつも赤く濁っていて澄んだことがないのは設楽原の戦いの時に首や刀、武具などの血を洗ったためと伝えられている。そういわれてみると確かに血のような色をした池で不気味な感じがします。多くの戦死者を弔った信玄塚の近くですからきっとそういったことがあったのかもしれません。

 



2003年10月12日


「首洗い池は血色の水濁る」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

長篠の戦いの時、この池で戦死者の首を洗ったという。このような地名が残ったのは、戦いがいかに壮絶であったかを想像させる。
近くには戦死者の霊を弔った「信玄塚」がある。
(看板資料より)

 

 
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