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群馬県みなかみ町

如意寺

2013年01月12日

上杉謙信供養塔

古代インド仏教を起源とするこの塔は、平安時代末に中国から伝わり、鎌倉時代中期から石造物として盛んに広まった。基本的な造りは、下から基檀、基礎、塔身、笠、相輪が積み重ねられる。本来、中央の塔身をくりぬき、中に「宝篋印陀羅尼経」というお経を納めたことから宝篋印塔と呼ばれる。次第に供養塔などとしても造られるようになった。笠の隅飾突起が特徴で、一般に初期のものは直立しており、時代が新しくなるほど反り返り、大きくなる傾向がある。
天正6(1578)年3月13日、越後の虎・上杉謙信が春日山城で突然病死した。上杉方の沼田城代の一人であった上野中務家成は謙信の死をいたみ、当時後閑にあった恕林寺で供養塔を建立して法要を行った。その後この宝篋印塔は、当地如意寺に移されたといわれている。塔身は無い。基礎は三つに区画され、「造立石塔一基」「奉為謙信法印」「天正母戌寅四月日」と彫られている。戌寅は天正6年、謙信の死の一ヶ月後のことであった。
(看板資料より)

 

 
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