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神奈川県小田原市

三の丸土塁

2012年01月22日

小田原城 三の丸土塁

この土塁は江戸時代の小田原城の三の丸の土塁跡です。当時は、本丸、二の丸(現在の城址公園周辺の範囲)を囲むようにお堀と土塁を巡らし、三の丸としていました。この土塁は三の丸の土塁が残されている数少ない場所のひとつです。
この場所の西側に幸田門という三の丸の入口がありました。その跡の一部が発掘調査で見つかっています。
戦国時代に上杉謙信や武田信玄が小田原城を攻めた時には、この幸田門から小田原城を攻めたと考えられています。北条氏康・氏政父子は、篭城戦を用いてこれを退け、小田原を守り抜きました。
(看板資料より)

幸田門跡の記念碑

小田原在陣中の信玄の動向は判然としないが、天正5(1577)年12月5日の年紀のある諏訪明神棟札によると、10月(9月の誤り)28日佐川(酒匂)に着陣した信玄は、2日後の翌月1日に小田原城蓮池に攻め込んで城下に放火、2日には同城を「巣城ばかりに蹴り詰め、悉く撃破」し、4日まで「佐川」に在陣して、5日大神(平塚市)に退いたという。
蓮池侵攻については、後に信玄自身深沢城矢文で「小田原に向けて相はたらくといえども、一向出合わざるの間、蓮池まで放火」と述べており、また信玄が4日に退去したことも同日付の氏康書状からも明らかである。
(小田原市史より)

 


小田原市立図書館に行って、武田信玄が小田原城を攻めた時のことについて聞いてみたところ、小田原市史を見せていただきました。また武田軍が攻め込んで放火したという蓮池の場所についても聞いてみたところ、現在の旭丘高校のあたりであるとのことでそこへの行き方や地図も頂くことができました。
実際に行ってみましたが、もちろん「蓮池」の看板があるわけでもなく、既に埋め立てられていて住宅地になっていました。

 

 
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