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    長野県飯田市

小笠原家書院

2013年08月01日

旧小笠原家書院

<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 17.0mm Tv:1/125 Av:9.0 ISO:100>

この建築は伊豆木小笠原家の居館の一部です。
伊豆木小笠原家は中世松尾に居城した松尾小笠原家の後裔です。慶長5(1600)年徳川家康より初代小笠原長巨が伊豆木において秣料千石を賜り、この地に居館を構え以降代々ここに居住しました。
その居館は小型の城郭をなしていましたが、明治初年帰農の際に大半の建物が取り壊され書院のみが残されました。現書院は元和3(1617)年の建立と伝えられていましたが、昭和45年の解体修理によって寛永初(1624)年頃初代長巨が建立したことが確かめられました。
書院の玄関は唐破風造りで、中央蟇股に小笠原家の家紋の三階菱がついています。書院は平面田の字形の四室で三方に一間通りの入側をめぐらし、奥の火灯窓のある書院の間と次の間とは格天井で、その境に豪放な大菱欄間をつけ、次の間北側の三間の大床とともに豪華な桃山時代の建築を示しています。
書院の南側床下の懸造りも珍しく、この建物全体が近世初期の地方豪族の邸宅を示す遺構として貴重なものです。
(看板資料より)


伊豆木の白輿

<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 11.0mm Tv:1/5 Av:4.0 ISO:6400>

日本にある白輿(白木でつくった輿)としては、鎌倉時代に作られた甲斐国にあるものと室町時代に作られた伊豆木にあるものの二つだけしか発見されていない。この輿は、桧の糸柾を用いて、極めて精巧に作られ、屋根板・轅は失っているものの、文化資料として大変貴重である。
伝来については武田家のお姫様が小笠原家へ御輿入の際お乗りになったものであると伝えられている。武田晴信(信玄)の夫人は左大臣三條公頼の女であり、小笠原家初代長巨の室(妻)は信虎の七男武田兵庫頭信実の女、長巨の母は武田逍遥軒信綱(信玄の弟、信廉)の女である。
(説明資料より)

 

 
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