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興津の対陣
武田勢が駿河に攻め込んで薩埵山の今川軍を破った勢いでそのまま駿河府中を占領した後、北条軍が薩埵山を押さえ、上記の通り90日間に渡って対陣が続いた。北条を敵にまわしてしまった信玄は苦境に陥ったが、信長に泣き言を言って足利将軍を利用して上杉輝虎(謙信)の動きを牽制することに成功した。しかし徳川家康が駿河に向かってきていることを知り、輝虎の動向も気になることからとうとう撤退を決意するのである。撤退するに際して穴山信君(梅雪)を江尻城(静岡県清水)に守らせ、信玄は本陣の久能城から興津川沿いに北上して徳間峠を経て甲斐に入ってから富士川を北上して甲府へ撤退した。また駿府城にいた山県昌景も安倍川沿いに北上して梅ヶ島から安倍峠を経て甲斐に戻ったそうです。これらの撤退路はそのうち実際に通ってみたいですね。武田軍が撤退した後、駿河は北条、徳川によって分割占領されてしまったのでした。
陽動作戦成功
その後、敵にまわしてしまった北条に対する牽制作戦として小田原城包囲、三増峠の合戦が行われますが、その直後再び駿河に侵攻。このとき直接蒲原城を攻めたのか、もしくは先に薩埵山の砦を守っていた北条軍を駆逐して興津城を落としてから蒲原城を攻めたのかはよく分かりませんが、これ以降再び武田方の城となっています。
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