←前のページ トップページ↑ 次のページ→

静岡県静岡市

駿府城公園

 
2001年10月08日

二の丸東御門

東御門は駿府城二の丸の東に位置する主要な出入口でした。この門は二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗橋、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門です。枡形門は要所に石落とし、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実戦的な門で戦国時代の面影を残しています。
(パンフレット資料より)


二の丸水路

この水路は、本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路で本丸外堀からの水を外へ流す目的で築かれています。幅は約4.5m、江戸時代の深さは約4m、長さは約95mあり、4回折れ曲がっています。本丸堀との接続部分は約2mの段差を設けて本丸堀の水位を保つようになっています。また、水路両側は石垣で底の部分にも本丸側約50mに渡り石が敷かれており、底が洗い流されない非常にめずらしい構造になっています。石垣の下方は家康公築城当初の石垣と考えられ、家康公の威風を示す貴重な遺構です。
(看板資料より)


駿府城天守閣跡

大御所徳川家康の居城にふさわしく、駿府城の本丸には五層七階の壮観な天守閣が築かれました。天守閣は駿府城のシンボルとして、城下町からは富士山と並び立って見えたと伝えられています。また伝説では余りに天守閣が光り輝くので駿河湾の魚が怯えて漁師が困った、などと云われます。
天守閣は家康在城時に一度火災に遇い再建されますが、家康没後の寛永12年(1635)に再び火災によって焼失し、以降再建されませんでした。わずかに天守の面影を残す石垣造りの天守台も明治29年に静岡連体を誘致するにあたって解体され埋められました。(看板資料より)


家康手植のミカン

徳川家康公が将軍職を退いて駿府城に隠居のおり、紀州より献上された鉢植えのミカンを天守閣下の本丸に移植したものと伝えられている。
このミカンは当地の方言でホンミカンといわれており、鎌倉時代に中国から入った紀州ミカンの一種で、香りの強い、種のある小形の実を結ぶ。静岡地方のミカンの起源を知る上で貴重なものである。
(看板資料より)

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→