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新潟県上越市

林泉寺

2014年08月24日

惣門

上杉謙信公によって春日山城から移築された往時を今に伝える唯一の門。
(パンフレット資料より)

 


明応6(1497)年、上杉謙信公の祖父越後守護代長尾能景公が、父重景公の17回忌にあたり、越後鎮護の古寺址を浄め、長尾氏の菩提所として建立された曹洞宗の名刹。
開山は名僧曇英恵応禅師。以来その法嗣が代々相続して行き、謙信公は6代天室光育、7台益翁宗謙に学んで、帰依あつく隆盛を極めました。
春日山は越府の要害として長尾氏が居館を構えて守り、山下のこの林泉寺は、府内守護上杉氏の菩提所至徳寺とならんで共に栄えましたが、林泉寺は法灯絶えることなく、今にその歴史を語りかけています。
(看板資料より)


山門

上杉謙信公建立の山門は江戸末期に地震によって焼失。大正時代に再建されて「春日山」、「大一義」の大額が掲げられている。
(パンフレット資料より)


上杉謙信公の御墓

上杉謙信公と林泉寺
謙信公は享禄3(1530)年、春日山城で越後守護代であった父長尾為景公と母虎御前の間に生まれました。
7歳から当寺を学問所として、六世天室光育大和尚のもとで厳しい薫陶を受けられました。19歳で春日山城主となり、その後弾正少弼に任ぜられ、上杉家を相続、関東管領職を継がれて、武将として確固たる地位を確立されました。
謙信公は七世益翁宗謙大和尚から「第一義」の真意を学ばれて二階造りの山門を寄進、更に山号「春日山」、「第一義」の大額を揮毫され掲げられました。
また宗謙大和尚の一字を戴き謙信と改め、生涯をとおして修学修禅に励まれ、常に自己を見つめて精進されたと伝えられています。
数々の行積を残されて人々に惜しまれつつ、49歳で永遠の眠りにつかれ、当寺に葬られました。
(パンフレット資料より)


川中島戦死者供養塔



2000年7月20日

明応6(1497)年、上杉謙信公の祖父越後守護代長尾能景公が、父重景公の17回忌にあたり、越後鎮護の古寺址を浄め、長尾氏の菩提所として建立された曹洞宗の名刹。
開山は名僧曇英恵応禅師。以来その法嗣が代々相続して行き、謙信公は6代天室光育、7台益翁宗謙に学んで、帰依あつく隆盛を極めました。
春日山は越府の要害として長尾氏が居館を構えて守り、山下のこの林泉寺は、府内守護上杉氏の菩提所至徳寺とならんで共に栄えましたが、林泉寺は法灯絶えることなく、今にその歴史を語りかけています。(看板資料より)

惣門

山門

春日山城遠望

本堂

川中島戦死者供養塔
元和9年(1623)に供養を行なったときに建立されたもの。

上杉謙信公の御墓
前方は昔からのもの。後方のものは大正6年に建てられた供養塔。

 
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