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長野県下諏訪町

諏訪大社下社春宮

2014年05月18日

諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を、下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座される。
下社の中心となる建築は、正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺、切妻造、平入の簡素で古風な形式をもち、甲寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、またその幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。
現在の春宮の幣拝殿は安永8(1779)年に完成したと考えられる。大工棟梁は、高島藩に仕えた大工棟梁の弟である。
(看板資料より)


神楽殿

御神前にお神楽を奉納するための建物で落成は江戸時代前期天和年間(1681〜1684)頃のものである。
(看板資料より)


幣拝殿

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれております。建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されています。棟梁は地元宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年早い安永9(1780)年に落成しました。春秋両宮は社殿構造は同じで、当時は双方で技術が競われました。
(看板資料より)

左右片拝殿



2004年06月19日

諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を、下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座される。
下社の中心となる建築は、正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺、切妻造、平入の簡素で古風な形式をもち、甲寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、またその幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。
現在の春宮の幣拝殿は安永8(1779)年に完成したと考えられる。大工棟梁は、高島藩に仕えた大工棟梁の弟である。


幣拝殿

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれております。建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されています。棟梁は地元宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年早い安永9(1780)年に落成しました。春秋両宮は社殿構造は同じで、当時は双方で技術が競われました。
(看板資料より)


御柱は寅年と申年の7年目毎に御宝殿の造営と共に建替えられる御神木で社殿の四隅に建立されています。この春宮一之御柱は長さ17m余、直径1m余の樅(もみ)の樹で霧ヶ峰高原に続く東俣国有林において伐採され、数千人の氏子の奉仕により曳行されました。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成22年(庚寅)年に行われます。
(看板資料より)

 

 
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