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山梨県笛吹市

諏訪南宮神社

2014年07月12日

笛吹市指定文化財
諏訪南宮神社扉絵
この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。
甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽根ノ社ニ用フ。」とあるが、この逍遥軒信綱とは武田信玄の弟の武田信廉のことで、国の重要文化財である父を描いた信虎像、母を描いた太井夫人像の作者でもある。

武田信玄祈願状
武田信玄は諏訪明神を武神として深く崇拝し、「南無諏訪南宮法性上下大明神」と大書した諏訪明神旗(塩山雲峰寺所蔵)を本陣にはためかせていたという。
この願文は元亀元(1570)年9月9日、信玄が関東に出陣するにあたり、戦勝を祈願した文書である。この時期の信玄は西上野を併合し、婚姻により同盟関係にあった駿河の今川氏を攻略し、相模の北条氏とは戦を繰り返しつつも関係を修復し、元亀3年いよいよ西上の兵をあげるのである。
(看板資料より)

寺尾太太神楽
寺尾太太神楽は明治21年に寺尾村桑原寛弥・新田作左衛門・桑原一重・石田喜是が発起して始まったものである。石和町河内の佐久神社祠官、抽那安隣から伝授されたものであるが、もともとは抽那家の先祖が、宝永・正徳(1710)の頃、京都にて、本正家につき神楽の奥義を極めて伝えてきたものである。
(看板資料より)



2009年12月29日

 笛吹市指定文化財
 諏訪南宮神社扉絵
この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。
甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽根ノ社ニ用フ。」とあるが、この逍遥軒信綱とは武田信玄の弟の武田信廉のことで、国の重要文化財である父を描いた信虎像、母を描いた太井夫人像の作者でもある。

  武田信玄祈願状
武田信玄は諏訪明神を武神として深く崇拝し、「南無諏訪南宮法性上下大明神」と大書した諏訪明神旗(塩山雲峰寺所蔵)を本陣にはためかせていたという。
この願文は元亀元(1570)年9月9日、信玄が関東に出陣するにあたり、戦勝を祈願した文書である。この時期の信玄は西上野を併合し、婚姻により同盟関係にあった駿河の今川氏を攻略し、相模の北条氏とは戦を繰り返しつつも関係を修復し、元亀3年いよいよ西上の兵をあげるのである。

  寺尾太太神楽
寺尾太太神楽は明治21年に寺尾村桑原寛弥・新田作左衛門・桑原一重・石田喜是が発起して始まったものである。石和町河内の佐久神社祠官、抽那安隣から伝授されたものであるが、もともとは抽那家の先祖が、宝永・正徳(1710)の頃、京都にて、本正家につき神楽の奥義を極めて伝えてきたものである。
 昭和63年7月11日
 笛吹市教育委員会
(看板資料より)

事前に住所まで分かっていたので現地にはすぐに行くことができました。扉絵などが笛吹市指定文化財に指定されているとのことでしたが、突然行ったのでもちろん見ることはできません。境内は広々としていて静かな所でした。

 

 
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