←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→

山梨県韮崎市

武田信義館跡

2003年08月30日

 

武田の里は甲斐源氏総領武田氏発祥の地である。今を去る八百年余の昔、源信義がここに居館を構えて武田太郎と号し、甲斐源氏一族を率いて強大な武力を誇った。治承4(1180)年、高倉宮以仁王の令旨を奉じて平家討滅の兵を起し、信濃・駿河に転戦して武功をたて、駿河守護に補せられたが、やがて源頼朝の忌むところとなって退けられ、文治2(1186)年、失意のうちに世を去った。年59。
墓は鳳凰山願成寺にある。信義の館は武田区の東端を占め、およそ250メートル平方の地で、今は民家・耕地が入りまじっているが、当時を偲ぶにたる土塁の一部は現存し、お屋敷・お庭・お旗部屋・み酒部屋・的場・お堀・金精水・具足沢などの地名を伝えている。
(看板資料より)


 

武田館跡というのは、武田信義の館跡のことでした。上の写真のように入口の看板があるので場所はすぐに分かると思います。近くには武田八幡宮願成寺などがあります。

 

 
←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→