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山梨県韮崎市

為朝神社

2013年09月07日

為朝神社は鎮西八郎為朝を祀った神社で元歴元年甲辰年武田太郎信義が社殿を建立し、為朝の画像と大長刀を納め神霊を祀った。後文化13年3月源氏の直系深沢文兵衛源直房等がその衰退を憂い、昔日の面影を再現したものである。古来、疱瘡除けの神として四方民の信仰厚く、遠近より賽する者多かりしが明治維新後種痘の実施とともに参詣者も跡を絶つに至った。戦後再び人文地史美術研究のため詣う人が日をおって増加している。
(看板資料より)

鎮西八郎為朝

現地で聞いた話では、鎮西八郎為朝が伊豆に流される前に武田信義を頼って甲州に逃げ逃れしばらくの間この地に潜んでいたのではないかとのこと。武田八幡宮から釜無川まで弓矢を射ったという逸話も残されているとのこと。
また別の人の話では、武田信義が晩年源頼朝の排斥にあい、強さの象徴である源為朝を慕って建立したのではないかという説もあるようです。
源為朝は身長2m以上あったとのことですが、神社の社殿の中にあった為朝の像は等身大の大きさであるとのことでした。

 

 
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