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群馬県渋川市

津久田城

2012年12月24日

渋川市赤城町津久田(旧字寄居)に所在する並郭式の崖端城です。北は沼尾川、西は利根川を臨む急崖上に広がる東西約3百メートル、南北約130メートルの平城で、北西隅に本丸、その南に二の丸、東に三の丸、外郭と続く縄張の要害でした。
戦国時代には、白井城や不動山城、長井坂城などとともに北条氏に属して、上杉や真田の軍勢と戦ったこともありました。
城主は狩野越後守康行でしたが、天正12(1584)年に出家して、この地に土着しました。天正18(1590)年、白井城とともに落城して廃城となり、久しく遺構が残っていましたが、昭和42(1967)年土地改良工事のために崩され、わずかに本丸の一部と西北側の腰曲輪(武者走り)を残すのみです。
しかし現在も往時を偲ぶ眺望に恵まれています。
(看板資料より)

上越線津久田駅の南750mのトンネル上に、北と西を高さ50mの崖に寄せて築かれ、白井の支城になっていた。天正8(1580)年8月、真田昌幸は海野輝幸らに命じ、城将牧弥六郎、須田加賀守らを追って占領させたが、天正10年には白井の手に返り、牧和泉守が守った。その後、昌幸の沼田城代となった矢沢頼綱は中山右衛門尉らにこの城を攻めさせたが、右衛門尉はかえって敗死した。
本丸は西北端に近く、西北角にはささ郭がある。本丸の東と南には三郭が並び、さらに南に帯郭がある。城の東南700mの城山はこの城の支城で70mほど高い。
(日本城郭提大系より)

 

 
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