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山梨県都留市

長生寺


2014年09月14日

長生寺の中雀門

長生寺は、寺記によれば、文明元(1469)年8月9日甲斐国守護武田信昌により寺領20石、山林境内1万5千坪が寄進され創立。開山は鷹岳宗俊禅師である。また、永正9(1512)年中興開基とされる小山田出羽守信有により19貫675文が寄進、七堂伽藍が整備される。歴代領主の菩提寺として信仰を集めてきた曹洞宗の名刹である。
元和4(1618)年諸堂皆灰燼に帰したため、鳥居土佐守成次によって七堂伽藍の再建がおこなわれ、中雀門もこの時創建された。寺記によると寛政3(1791)年、明治15年の2回の大火にも中雀門は焼失をまぬがれたとされる。
現在の中雀門は、1間1戸の4脚門で、その構造は禅宗寺院の様式に基づくもので、蟇股や海老虹梁には、竹に雀、鯉の滝のぼり、牡丹などの彫刻が施され、近世の建築様式を留めるものである。
(看板資料より)


市指定文化財 小山田信茂寺領書立文書(1枚)
この文書は元亀4(1573)年7月3日、小山田左兵衛尉信茂が長生寺の歴代寄進による寺領の全部を書きあげて、それぞれ安堵再確認したものである。
重要な点は、郡内領主小山田氏の代々の法名である義山・涼苑・耕雲・契山・桃隠・信茂(武山)が記されていることであり、小山田氏歴代の系図作成の上から資料的価値が高い。
(看板資料より)

小山田越中守信有画像(1幅)
長生寺は郡内領主小山田氏の菩提寺で、永正8(1511)年の創建といわれ、開基は小山田越中守(出羽守ともいう。その子出羽守信有と区別するため越中守とよぶ)信有である。この画像は絹本着色で、画師は不明であるが、当時の画法を伝える秀逸な画像で、小山田氏に関するものはいまのところこれ一幅である。
(看板資料より)

 



2004年12月26日

長生寺の中雀門

長生寺は、寺記によれば、文明元(1469)年8月9日甲斐国守護武田信昌により寺領20石、山林境内1万5千坪が寄進され創立。開山は鷹岳宗俊禅師である。また、永正9(1512)年中興開基とされる小山田出羽守信有により19貫675文が寄進、七堂伽藍が整備される。歴代領主の菩提寺として信仰を集めてきた曹洞宗の名刹である。
元和4(1618)年諸堂皆灰燼に帰したため、鳥居土佐守成次によって七堂伽藍の再建がおこなわれ、中雀門もこの時創建された。寺記によると寛政3(1791)年、明治15年の2回の大火にも中雀門は焼失をまぬがれたとされる。
現在の中雀門は、1間1戸の4脚門で、その構造は禅宗寺院の様式に基づくもので、蟇股や海老虹梁には、竹に雀、鯉の滝のぼり、牡丹などの彫刻が施され、近世の建築様式を留めるものである。
(看板資料より)


市指定文化財 小山田信茂寺領書立文書(1枚)
この文書は元亀4(1573)年7月3日、小山田左兵衛尉信茂が長生寺の歴代寄進による寺領の全部を書きあげて、それぞれ安堵再確認したものである。
重要な点は、郡内領主小山田氏の代々の法名である義山・涼苑・耕雲・契山・桃隠・信茂(武山)が記されていることであり、小山田氏歴代の系図作成の上から資料的価値が高い。
(看板資料より)


小山田越中守信有画像(1幅)
長生寺は郡内領主小山田氏の菩提寺で、永正8(1511)年の創建といわれ、開基は小山田越中守(出羽守ともいう。その子出羽守信有と区別するため越中守とよぶ)信有である。この画像は絹本着色で、画師は不明であるが、当時の画法を伝える秀逸な画像で、小山田氏に関するものはいまのところこれ一幅である。
(看板資料より)

桂林寺で小山田氏縁のお寺のひとつとして紹介してもらったのがこの長生寺です。事前調査の段階では全く知らなかったのですが行ってみると看板には見たことがある絵がありました。上の小山田越中守信有画像です。当日は葬式(法事)が行われていたので邪魔にならないように写真を撮らせて頂いただでしたので詳しいことは分かりませんでした。

 

 
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