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愛知県新城市

山県昌景陣地(山県三郎兵衛昌景の墓、高坂又八郎助宣の墓他)

2003年10月12日



「山県の最後胴切りの松に秘め」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

山県三郎兵衛昌景は武田軍の左翼に陣を敷いた。長篠合戦余話によると、山県昌景は両腕の自由を失ったので采配を口にくわえて指揮していたが、敵の弾丸に馬を撃たれ落馬してしまった。配下の志村又右衛門が胴切山の中腹に昌景を運んだが既に亡くなっていたという。敵が迫ってきていたので首を落として落ち延びたので敵に首は渡すことはなかった。死体は後日ここに埋められ厚く葬られたという。

山県三郎兵衛昌景、山県甚太郎昌次、従士名取又左エ門道忠、高坂又八郎助宣の墓が並ぶ。

 

 
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