| 原隼人佐昌胤之碑 |
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2006年05月05日 |
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原昌胤は陣場奉行であった原昌俊の子で父の死後は引き続き陣場奉行を勤めたという。長篠・設楽原合戦の際も陣場奉行として勝頼に撤退を進言したが容れられなかった。かるたでつづる設楽原古戦場によれば、原昌胤は内藤昌豊らとともに中央隊に属して徳川本隊目指しての攻撃に参加して奮戦したが惜しくも敵の銃弾を浴びて倒れた。また原昌胤は戦時の際は陣場奉行として活躍したが平時においては優れた土木技術者として治水工事において大きな業績を残しています。
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2003年10月12日 |