第12回 「思い出の五島プラネタリウム」2001.03.03

 プラネタリウムというのは、不思議な空間です。
 天を模した半球の投影スクリーンを見上げる格好で、リクライニングのついた椅子に座ります。照明が落とされると、中央に据え付けられた巨大な機械から、高地の星ぼしもかくやと思わせる満天の輝きが映し出されます。思わず感嘆のため息が、観衆から洩れるのも無理はありません。
 こ難しい天文知識がなくたって、漆黒の空一面に宝石をぶちまけたようなその美しさには、誰しも感動することでしょう。

 そんな、星を見る感動を教えてくれるプラネタリウムのひとつが、閉館することになりました。

 戦前の日本には、有楽町の駅前にプラネタリウムがあったといいます。しかし戦災によって1945年(昭和20年)に施設は焼失。やがて戦後の1957年4月、(昭和32年)渋谷駅の目の前、東急文化会館の最上階に「天文博物館五島プラネタリウム」が建設されました。そしてこの年は、ソビエト連邦(現ロシア共和国)が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した年でもありました。

 ここに設置されているのは、ドイツの、知らぬ人とてない有名光学機器メーカー、カール・ツァイス社のプラネタリウム投影機。当時の価格は日本円で7000万円。現在の価値に換算すると、なんと10億円以上! それだけ、戦後日本の学芸復興に対する思いが強かったのでしょう……。
 もちろんこの投影機、現在も現役で活躍中です。

 現在各地にあるほとんどのプラネタリウムは、自動投影機にプログラムを入れ、テープによる解説で番組が進められています。しかし五島プラネタリウムでは、解説員の肉声による案内と、手動による操作のアナログ感が、なんともいえない優しい雰囲気をかもしだします。時には観客のリクエストに応えた映像を映してくれたりと、通り一遍の「上映」だけではない楽しさが、そこにはあります。

 数年前、私が友人たちと五島プラネタリウムを訪れた日は、日曜ということもあり、プラネタリウムはなかなかの混雑を見せていました。上品な老夫婦、若いカップル、子供連れの家族……たくさんの人がドームに映し出される満天の星を見上げ、嘆息し、日没から夜明けにいたるまでを一時間に凝縮したプログラムを堪能していました。
 投影した星ぼしに、星座のイラストを重ね合わせるときの、微妙なぶれや、手動のポインタで、アンタレス、シリウスといった星をさししめす動作が、暖かみを感じさせてくれたのを覚えています。

 最も人気が高かったころは、プラネタリウムのある最上階から階段を下って2階部分まで、順番待ちの行列ができたほどだったそうです。
 天文知識の普及をめざして建設されたこの施設では、天文資料の展示なども行われ、また、天文に携わる人々の教育にも大きな貢献を果たしました。

 しかしこの歴史ある施設は、公立プラネタリウムが多く建設された事や、渋谷が若者中心の娯楽を主とする街に変貌してしまった事などによって、経営難におちいり、閉鎖を余儀無くされてしまったようです。

 閉館までは、あと10日となってしまった五島プラネタリウム。きっと多くのファンが集い、別れを惜しむことでしょう。

 天の光は、すべて星。

今回の参考リンク

天文博物館五島プラネタリウム
多くの天文ファンに惜しまれながら、2001.3.13をもって閉館となります。

天文博物館五島プラネタリウム私設ファンクラブ
五島プラネタリウムを愛し、支えてきた熱烈なファンの声を。

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