私は幼少の頃から「本の虫」だったようです。親戚の家に遊びにいっては、真っ先に従姉の本棚へ進み、活字をむさぼるように読んでいたとか、幼稚園の図書館にある絵本では飽き足らず、近所の図書館へ沈没しに行ったとか、さらに車での移動中、本を読めないので(車酔いするから)飽きたのか、目に止まった看板の文字を全て音読しまくるので親が閉口したとか、そんな話がたくさんあります。当の本人はちっとも覚えていないのですが。(5つ年上の兄が購読していた「学習と科学」を、兄が帰宅する前に開けて読んで怒られたことは覚えている) さてそんなヒロヒコの読書遍歴のなかには、「お気に入りだったのに、タイトルが思い出せなくて困っちゃう」本がたくさんあります。(読んだことすら忘れているのも大量にありますが) 内容は、「あかね」という女の子の住む家にいる、「モモちゃん」という猫の生涯をつづったものでした。 そして5年ほど前、その本のことがふいに思い出されたのです。 本の内容のうち、わずかながら覚えていたのは、さきほどの老いた「モモちゃん」が「あかね」を探して歩き回る情景と、いまわの際に、「モモちゃん」が「あかね」の小指に力一杯噛みつくところでした。 インターネットの掲示板にて「こんな話を知りませんか」と呼び掛けたのですが、出てくるのは「松谷みよ子さんの『モモちゃんとアカネちゃん』ではないでしょうか」という回答ばかり……。 それからというもの、本屋にいっては児童書の棚を探し、「きっともう絶版だから、みつからないんだ」と肩を落としていた日々が続いていたところに、ようやく決着がついたのです。 当時の版はもちろん絶版となっており、私が手に入れる手段といったら、古書店をさがすか、椋鳩十全集を手に入れるか、地方の書店にひっそりと眠っている在庫にめぐりあうか、という方法しかおそらくは残されていないでしょう。 しかしこれも運命の奇禍というべきでしょうか。 あのとき、あの本が手に入っていたら、ここまで悩むことはなかったかもしれません。しかし、ようやくなつかしい記憶のありかにめぐりあえたという感慨をうけることもなかったかもしれません。 これからは、「モモちゃんとあかね」を読める図書館を捜す旅がはじまりそうです。それとも、手っ取り早く国立国会図書館へ行った方が早いのかなぁ? |
長野県にある喬木村で、椋鳩十は生まれました。 その業績を記念し、この地に記念館が設けられています。 |