第18回 「 ユメ 」2001.09.04

 昨日のネタを書いたあと、出先でつい「塩野七生」のルネサンスシリーズを見かけてしまった。うう読みたい。でも本はむやみに増やせない、かといって図書館に行くヒマはいまのところない。誰か持ってない?

 つくづく、書店は魔の領域だと思う。次々に読書欲をそそる本が目にとまってしまい、「だめよ〜、読むヒマないのよ〜、あっても置くところがないのよぉ〜」と、ひとり煩悶してしまうのだ。

 これが、ベストセラーものや、手軽な読み物系のものならまだいい。前者は図書館に行けば、まず確実に読める。たとえそれが小さな図書館で、そこで蔵書していなくても、図書館どうしで本をやりとりしてリクエストに応えるというシステムを導入しているところもあるから、爆発的ブームの時期がすぎれば、まず読めるはずだ。後者ならば、わざわざ購入せずとも古本屋に落ちたところを立ち読みすればいい。

 しかし、ちょっと専門的だったり、マニアックだったりすると話は別だ。そもそもマイナーな出版社の少部数しか流通しないような本だと、「今、持ち合わせがないからあとで買おうかな」などとためらっているうちに、そのうち誰かに買われたか返本されたかで本棚から姿を消し、問い合わせてもすでに「在庫なし」ということもある。(たいていは、問い合わせもせず「縁がなかったのね」と諦めるのだが)

 大手出版社の本とはいっても、ハードカヴァーならまだしも、文庫本の新陳代謝は驚くほど早い。ふと手にとって面白くなって、でも「今日はまだいいや」と買わなかった本が、いつのまにやら店頭から姿を消してしまっていた時の、あの衝撃。そして図書館に足を運んでも見い出すことはできず、徒に書名の消えた出版目録を眺め、古本屋を覗いては嘆息し...

 そんな事を何度もくりかえしたすえ、「見かけたときに買え」という強迫観念めいた信条が私の心にはすっかり根付いてしまった。また、「買ったら手放すな」という信条も。

 しかし、思いはままならないのが世の中の常。気になった本を手当たりしだいに購入していたら家計は破綻してしまうし、それを読み込む時間もない。本棚の確保も物理的に不可能とあっては、無闇にこれ以上増やすわけにもいかない。ただでさえ毎月自転車雑誌を買っているのだから。

 かくして、「見かけたときに買え」は、「今まで買い続けているシリーズものか、大ファンの作家(しかもマイナー)の著作に限る」という掟に改変され、「買ったら手放すな」は、引越の際、涙を振り絞り嗚咽しながら、手持ちの半分近くを処分したことで破られた。結局、その時手放した本のことは、たまに読み返したくなって嘆息するのだけれど。

 もしもユメが叶うなら、壁一面に天井まで届く書棚をめぐらせたり、スライドレ−ル式の書架を設置して、四方八方を本に囲まれるシアワセな部屋を作りたいものだ。

 しかしそんな部屋にはとんでもなく強度の高い床が必要だろうから、工賃はかなりお高くつくだろう。しかも地震大国ニッポンのこと、ひと揺れ来たら四方八方から本が降り注いで、オソロシイことになるに違いない。

 かくしてユメはユメのまま終わりそうである。

今回の参考リンク

ネコビルのホメオスタシス
立花隆を究める」サイト内のコーナー。
ノンフィクション作家である氏の仕事場、通称「ネコビル」の解説。
見学に行ってみたいものだが叶いそうにもないので
せめてヴァーチュアルに体験してみる。

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