第43回 「 春の花咲く 」2001.02.27

 前回のロバ耳から、年も明けてはや二か月もたってしまいました。書こうと思っていたことはたくさんあったのですが、とてもまとめる気力がなく、ここまでサボり全開となってしまいました。
 そんな「休養明け」のロバ耳ですが、今回はリハビリを兼ねて、雑想・雑文にて御勘弁を。


 年明けからばたばたしているうちに、もはや二月も終わろうとしています。なんだか早かったなぁ。

 通勤路では梅が咲き誇り、もったりとした甘い香りをまき散らしています。そして数日前からは、そこに沈丁花の涼やかな香りが混じり合うようになりました。

 厳しい冷え込みもしだいにゆるみ、木々の枝はやんわりと葉芽・花芽をふくらませ、土にも緑の気配が感じられるようになってきました。

 こんな折り、思い出すのはヒヤシンス。小学校の頃「水栽培コンクール」などという行事があり、生徒それぞれが自宅で育てたヒヤシンスやクロッカスを体育館に集め、ガラス越しの日射しの中で展示したのです。展示・審査のあとは、選ばれたものが学校の玄関に飾られ、あとは各自の教室で花が終わるまで飾るのです。

 このヒヤシンスにも強い匂いがあって、教室の中はむせ返るような香りに包まれていたような覚えがあります。

 球根から白い根が伸び、いつのまにか太い芽が顔をのぞかせ、とても球根から出てきたとは思えないくらい立派な花が咲くというのは、植物は光合成をするのだということを習ってもなお、不思議なものでした。そして、水栽培にしたヒヤシンスは土から養分をとれないので、本来仲間を増やすための手段だった球根は花を咲かせるのにせいいっぱいでそれ以上の発育をすることができず、一代で命を終えてしまうということも、聞いたときには結構衝撃でした。

 チューリップなどは、土中のウイルスにとても弱いため、土に植えていても毎年球根を掘り出して処分したほうが本当は良いそうですが...。ちなみに、コンテナ植えだと、養分が足りないので翌年の花はまず望めないそうですが、数年かけて球根を育てると、また見事な花が見られるそうです。

 もし、昨年の球根をそのまま植えていて、花が咲いてみたら、去年にはなかった白いまだら模様が入っていたり、葉っぱがちぢれていたりしたら、その球根はウイルスに感染しています。これはどんな薬をまいても治らないので、かわいそうですが球根を掘り出して、焼却処分しかありません。

 チューリップというと、カップ型のかわいらしい形が思い浮かびますが、原種のチューリップでは花びらがとがっていたり、花びらのまわりにフリルのようなぎざぎざがついた華やかなもの、八重咲きのもの、鳥の翼のように花びらが波打っているものとさまざまです。

 かつてこの花がヨーロッパにもたらされた1600年代頃、貴族はこぞってこの花を求めました。やがて球根が増え、民衆にも浸透するようになると、花の美しさ、希少性に対して価格がつくようになります。オランダの人々は品種改良に熱狂し、球根は投機の対象として信じがたいほどの高値で取引され、球根の先物取り引きがはじまり、空前の「チューリップ・バブル」が起こったといいます。「三銃士」で有名な文豪アレクサンドル・デュマもこのチューリップ熱を物語にとりいれた「黒いチューリップ」を書いています。(このチューリップ・バブルがはじけたあと、オランダは大不況におちいるのですが...)
 このころ珍重された「稀少な品種」のほとんどが、前述のウイルスに侵されていたものだという研究もあり、実際この頃描かれたチューリップの絵には、そのような花姿が多く描かれているそうです。

 経済の問題はさておいて、チューリップといえばとてもよく似合う花があります。ヒヤシンスにちょっぴり似ていて、もっと小さくかわいらしい球根植物、ムスカリです。スズラン状の花をぶどうの房のようにいっぱいつけて、長くて細い緑の葉の間から香り高く咲く姿は、とてもかわいらしいものです。

 このムスカリ、私も数年前は育てていたのですが、引越しするのと一緒に、以前勤めていた会社でお世話になっていた方に差し上げてしまい、今では植物のひとつも育てていない家になっています。せめて日射しがもうすこし入ってくれたなら、ベランダで何かと育てられるのですが。

 そんな事を考えながら、次第に鮮やかに彩られてゆく花壇を眺めつつ、今日も通勤するのでした。今の環境で育てられるのは...コケくらいかなぁ。

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