劉連仁さん裁判判決要旨
東京地裁 2001年7月12日 [判決理由要旨]

戦後の救済義務

 原告らが、戦後の救済義務違反に基づいて違法行為だと主張しているのは、国が劉を強制連行し、強制労働に服させたという先行行為をしながら、一方で、北海道内を13年にわたって逃走することを余儀なくされた劉個人に対する救済義務を怠ったという不作為だ。

 こうした不作為を違法と認めるには、国の公務員に一般的にそうした作為義務が認められることに加え、作為義務を怠ることで劉の生命、身体の安全が確保されない事態に至るであろうことが、相当の蓋然(がいぜん)性をもって予測できたことが必要と解すべきだ。

 戦後、中国人労働者が中国に送還されるに至った経緯などに照らすと、1942年の閣議決定によって、太平洋戦争の遂行という目的のため、国策として意思に反して強制的に日本国内に連行され、強制的に労働に従事させられた者については、国は、降伏文書の調印とそれに伴う強制連行の目的の消滅により、当然の原状回復義務として、強制連行された者を保護する一般的な作為義務を確定的に負ったと認めるのが相当だ。

 このような救済義務は、厚生省が引き揚げに関する中央責任官庁に指定されたことで、その所管となり、国家賠償法施行の時点(1947年10月)では、厚生省の援護業務担当部局の職員が劉を保護する一般的な作為義務を負っていたと認めるのが相当だ。

 劉は強制連行された就労先からの逃走を余儀なくされ、以後13年間にわたって北海道内での逃走生活を送った結果、筆舌に尽くしがたい過酷な体験をし、常に生命、身体の安全が脅かされていたことが明らかである。公文書である外務省報告書や事業場報告書にも劉の逃走に関する経緯が記載されており、外務省の担当者は劉の逃走の事実を知っていたと認められる。

 こうしたことから、本件救済義務の特殊性に照らせば、戦後の混乱期という特殊事情を考慮してもなお、国家賠償法施行時に、厚生省の援護業務担当部局の職員は、劉が逃走を余儀なくされた結果、生命、身体の安全が脅かされる事態に陥っているであろうことを相当の蓋然性をもって予測できたと認めるのが相当だ。

 そして、国が保護義務を怠ったことと劉が被った被害の間には相当因果関係を肯定できる。

除斥期間

 除斥期間制度の存在を前提としても、本件に除斥期間の適用を認めた場合は、すでに認定した劉の国に対する国家賠償法上の損害賠償請求権が消滅してしまう結果を導くことからも明らかな通り、いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅に直接結びつく。しかも、消滅の対象とされるのが国家賠償法上の請求権で、その効果を受けるのが除斥期間制度創設の主体である国だという点も考慮すると、その適用に当たっては法の大原則である正義、公平の理念を念頭に置いた検討をする必要がある。

 除斥期間制度の適用の結果が著しく正義、公平の理念に反し、適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、適用を制限することができると解すべきだ。

 1958年2月、劉から国に対し、国策として行った強制連行、強制労働と、これに由来する13年間の逃亡生活についての損害賠償を要求された時点では、国の担当部局で、すでに強制連行、強制労働によって劉に重大な被害を与えたことが明らかにされている公文書(外務省報告書)が作成されていた。

 にもかかわらず、劉の問題が衆院外務委員会で取り上げられた際、当時の首相及び政府委員は、劉が明治鉱業の昭和鉱業所で働いていた事実と外務省報告書の存在は認めたものの、報告書については、外務省に残っておらず事実の確認ができない、との答弁に終始し、以降詳しい調査もせずに劉の要求に応ぜず、その結果、劉を損害賠償を得られないまま放置していた。

 1993年、外務省報告書が東京華僑協会に保管されていることがわかって事実関係が明らかになり、劉は提訴に至った。その事実経過に照らすと、国は自ら行った強制連行、強制労働に由来し、しかも自らが救済義務を怠った結果生じた劉の13年間にわたる逃走の事態につき、自らの手でそのことを明らかにする資料を作成し、いったんは劉に対する賠償要求に応じる機会があったにもかかわらず、結果的にその資料の存在を無視し、調査すら行わずに放置して、これを怠ったものと認めざるを得ない。

 そのような被告に対し、国家制度としての除斥期間の制度を適用して、その責任を免れさせることは、劉の被った被害の重大さを考慮すると、正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ない。また、このような重大な被害を被った劉に対し、国家として損害の賠償に応ずることは条理にもかなうと言うべきだ。

結論

 国による強制連行、強制労働で劉が多大の被害を受けたことは明らかだが、強制連行、強制労働による被害そのものを実体法上の損害賠償請求権として構成することは困難であり、当該被害に対する損害の賠償を認めることはできない。

 当裁判所としては、劉については、国が救済義務を怠った不作為の違法を理由とする損害賠償請求権が認められると考える。すでに認定したような特殊性に照らすと、除斥期間の適用は本件では制限すべきものと言わざるを得ない。