韓国の元「慰安婦」たちの現在
──アジア女性基金・政府、韓国での「償い」の実施とその後

2004─05.11─06.02/2010.10 更新  
*「ホームページはらだ」が掲載するもので、アジア女性基金の公式の発表+はらだのメモ

【現状】

▽2010年9月──韓国 生存82人、登録者234人
▽2005年6月──韓国では97人のハルモニが亡くなったという統計が出た(女性部)
▽2005年12月──韓国の元「慰安婦」死亡者は104人、政府登録225人 韓国女性家族部、聯合報道

▽最近、韓国挺対協の「水曜デモ」、訪日、人権委などで報道される韓国の元「慰安婦」ハルモニの名前は、限定されてきている。──ムン・ピルギ、イー・ヨンス、ファン・クムジュ、キム・スンドク、シム・ダリョン、イ・オッソン、カン・クムジャさんらと「ナヌムの家」のハルモニたち。──05.

▽挺対協、その幹部らは相変わらず「基金」の実施相手を執拗にさぐっている。
▽一方で、そうした名前や人数が「基金」側から確定的に出ることを懸念している。「基金」からの公表を、反「基金」運動体こそが、おそれているといってよい。
▽運動として「基金」実施を否定し、その意にそって受け取っていない被害者をおし立てていながら、そこに「基金」実施が確認されると「運動のキズ」になるからだ。
▽98年5月の韓国政府一時金支給時、挺対協ら運動の圧力もあって、公式に11人が「基金」を受けたものとしてその支給対象から除外された経緯がある。

▽「基金」は当然、これまで、受けた当事者數などは、一切公表していない。当事者との「守秘」の約束がある。韓国での実施総数公表も現状では控えている。いろんな場面で姓名が特定されると、被害当事者に問題が起こりうるからだ。依然、当事者につめたい、利用主義で人権無視の倒錯した韓国側運動体などの状況がある。──05
 

1 韓国政府対処──韓国、日軍「慰安婦」生活安定支援法1993、登録、一時金・年金支給など
2 日本政府──国の関与認める1992、調査結果、対処方針1993、総理談話1994、総理の謝罪の手紙1996
3 元「慰安婦」人数──韓国政府登録215人、死亡86人(うち7人、04年)、生存129人─2004.10
 ▽このあと、2005.1、キム・サンヒ(金相喜、2日)さん、キム・プンソン(金粉先、10日)さんが亡くなったと伝えられた。死亡者は計88人となった。(報道等による)
 ▽さらに05年1月27日、仮名・金田きみ子さんが亡くなった。死亡者は89人に達した。
 ▽韓国で知られるハルモニ、李貴分さん、姜順愛さんの死亡も伝えられている。
              
   政府登録者数 死亡 生存 (人)2010
2010
2005.12
234
225

104
82
 
 
 
2004.10 215 86 129 運動体などが中国在住者帰国などを進め総数増
1998.5 186(外国2) 34 152 1993年政府申告開始、95年ころ総数は164とされていた

4 韓国政府の経済支援──支援法月50万W、生活保護法、老人福祉法、医療等
 アジア女性基金200万+300万円、韓国政府・市民一時金3800万W(650万W:民間)1998
 住宅─永久賃貸(管理費別)/保健福祉部─保健社会部─女性部新設移管、外交部─外交通商部
5 日本政府──「基金」設立1995
6 「基金」──1997〜2002「謝罪金」などお届け実施、以後フォローアップ
 

【経過概略】

▽韓国での調査、名乗り出、韓国から日本に対する補償請求提訴、「慰安婦」問題拡大
▽当事者・支援、内外で戦後補償、「慰安婦」補償問題の活動
▽政府調査、国・軍の関与明確化、政府対処表明、「基金」事業
▽当事者・支援その他「基金」事業内容で政府と協議、事業の拡大
▽「基金」、被害当事者への説明、申請、実施
▽「基金」は当事者に連絡・訪問、歴史の教訓事業など継続
 
年次
「慰安婦」─日韓の動き
1990
強制連行─「慰安婦」国会で審議
「慰安婦」問題の社会的・政治的浮上─国会質疑(韓国、日本で調査)
日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)結成
1991
《最初の韓国元「慰安婦」、日本政府相手に提訴》
韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会、日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)、弁護士等で戦後補償訴訟に向け聞き取り
8 「慰安婦」にされていたと名乗り出(故・金學順氏)
12 韓国・遺族会が元「慰安婦」金學順氏含めて東京地裁提訴。民事、損害賠償事件(軍人軍属16人、その遺族16人、「慰安婦」3人+追加5人)。ハッキリ会が支援・独自活動
1992
《ハッキリ会など3者協─戦後補償ネット。韓国、フィリピン、「在日」》
政府、軍・官憲の関与認める。官房長官会見
政府一次調査
1993
《韓国に文民政権・金泳三大統領就任、日本に物的補償を求めない発言》
《自民党単独政権倒れ、連立時代へ》
7-8 政府、韓国で聞き取り
8 官房長官談話、政府調査結果
9 韓国政府、元「慰安婦」支援法、審議委員会、登録、一時金500万ウォン
1994
《政府、「慰安婦」問題で総理談話》
政府総理府から3者・戦後補償ネットに対し「道義的責任」による「慰安婦」に特化した事業実施を内示説明。フィリピン、「在日」支援代表も政府支出の事業を好感

7 総理談話
12 与党戦後50年問題PTが「基金」決定。韓国・遺族会、ハッキリ会は反対の国会座り込み

1995
《戦後50年、謝罪決議vs.感謝決議》
《総理談話》
《北京女性会議・国連》
《高校教科書に「慰安婦」等掲載》
ハッキリ会は「基金」予定役員に面談つづける。金學順氏が医療・福祉支援事業を評価

6 政府、「基金」方式の対応方針。韓国政府も評価コメント
7 アジア女性基金設立 原文兵衛理事長、所管:総理府・外務省
8 戦後50年衆議院決議
8 総理談話(対抗して旧軍戦死者感謝決議の動き)
「基金」、国民「拠金」よびかけ
自治労・連合、ハッキリ会は「基金」に参加して協議、意見

1996
《国連人権委員会に女性に対する暴力報告・付帯文書》
ヘンソン氏(フィリピン)「基金」受け取り表明。比で申請受付、実施(8月)
「基金」、韓国で事業内容を説明
韓国からの「基金」申請、「基金」にとどく
1997
《中学教科書に「慰安婦」掲載》
1  政府間で実施通告の上、「基金」は韓国で申請者に実施。ソウル市内ホテル(5人+訪問2人)
「基金」を受けた当事者、韓国でバッシング 
5 台湾で実施
1998
《金大中大統領》
《日韓共同宣言》
1  韓国で「基金」新聞広告(事業説明、申請・実施方法、無料電話周知。韓国日報、ハンギョレ新聞ほか)
5 韓国政府、「基金」に対抗し一時金支給(一部民間募金:「市民連帯」)
6 韓国、「基金」に個人支給事業の中止、転換要求
1999
《「新しい歴史教科書」問題2001》
転換事業案を韓国政府拒否。「基金」へ申請者つづく
2000 9 村山富市理事長
2001 所管・外務省
2002
《日朝平壌宣言》
《拉致の事実認知》
*サッカーワールドカップ日韓共催
*日韓国民交流年
2  「基金」が韓国での実施再開公表
5  韓国、最後の申請者に実施
 「基金」フォローアップ確認
7 募金停止。募金総額 5億6500万円
9 フィリピン・韓国・台湾実施結果、合計285人
2003
《盧武鉉大統領》
7 「基金」日韓学生のフォーラムで「慰安婦」問題などテーマに
2004 8 「基金」日韓学生のフォーラム
9 韓国「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」9月6日施行
11 「日本軍慰安婦の名誉と人権回復のための歴史館建立」決議、11月12日韓国国会で決議
2005
《日韓条約40年》
《戦後60年》
*2005日韓友情年
1 「基金」村山理事長記者会見。2007年解散の予定、元「慰安婦」アフターケア、「基金」事業の承継継続等課題について検討することを公表
竹島、教科書問題
12 「基金」日韓学生のフォーラム
2006
「基金」元「慰安婦」アフターケア検討
「基金」事業継承検討
8 「基金」日韓学生のフォーラム、済州
2007
《インドネシア施設事業終了に伴い「基金」解散予定》
2007.3 アジア女性基金解散
原文兵衛
アジア女性基金理事長
村山富市
2代アジア女性基金理事長

金泳三大統領在任1993〜98
金大中大統領1998〜2003
廬武鉉大統領2003〜

 
 
アジア女性基金償いの事業─韓国での実施内容
当事者個人に
総理大臣から謝罪の意思 総理の謝罪の書簡(政府から。橋本総理等歴代総理署名)
 *国・政府責任  *国・政府の道義的責任明示
国・政府責任の表明 医療・福祉支援事業 
政府資金(予算)から
3,000,000円規模(円建て)
国民の謝罪の気持ち 謝罪金
国民募金から
2,000,000円(円建て)
アジア女性基金、国民の意思 アジア女性基金理事長の書簡
募金した国民の意思 拠金者からのメッセージ
*申請・実施方法 ▽韓国政府登録者であること、ご本人の申請意思があること、その証明となる一括申請書式にしたがって、ご本人が希望する方法で送達
▽「基金」はプライバシー厳守

*遺族には総理の手紙と謝罪金
*日韓共同宣言 1998.10 「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。」
「お詫び」は韓国語で「謝罪」として、合意の上、明記された。
「基金」償いの事業(個人)実施結果──韓国・台湾・フィリピン合計285人 オランダ79人



アジア女性基金「慰安婦」償い事業の実施と問題 2004.10.
以下に書いた経過の事実関係元資料はホームページファイルに収載している*
 

運動が「当事者は拒否」 という「?」
1 韓国での「基金」事業実施では、韓国政府、韓国の運動・社会・世論と、それに連動する日本の運動が終始激しい反対運動をつづけ、難しい局面となった。韓国では「1人も受け取らない」としていたが、「基金」を受ける当事者が出ると運動体は「基金」を受けた当事者を名指して「民族心を売った汚い女」などと非難・攻撃し、政府に働き掛けてNGO日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)代表を「入国禁止」処分にさせるなどした。「基金」に対抗して内外民間募金をしたが「基金」相当の金額に及ばず、政府資金を出させて「防衛」を図ることも辞さなかった。
*韓国政府、挺身隊問題対策協議会(挺対協)ほか声明、コメント、報道

2 「基金」批判の主旨は、国・政府の「法的責任」回避、「国の賠償(補償)」ではない、公的な謝罪ではない──に集約される。
*挺身隊問題対策協議会(挺対協)等声明

3 「基金反対」論の主張は、法的責任による国の賠償である。民事訴訟で主張された、国際法・国内法による国の不法・違法行為を国が認め、被害者個人に「戦後補償=損害賠償」せよというもの。「基金」は政府の道義的責任を明確にし、当事者個人に総理の謝罪文と、政府の資金による医療・福祉支援事業、国民の謝罪の意味を込めた償い金(韓国では謝罪金)を申請者に届けるという仕組であった。これに「民間」であり、国公的なものではないという挺対協役員が「基金」に来て、「政府資金が入っているのか」といい、事実すら確認してないことがはっきりした。

4 戦後処理関係で国を被告としたアジア各国被害者による個人賠償の訴訟は、1995年当時、すでに数十件提起され争われていた。国は、事実関係や国際法・国内法の争い以前に、戦後処理は戦後法的にはSF条約及び2国間条約・協定により誠実に果たしてきた。すでに実行された賠償・経済協力方式に加えて個人補償はできないという法的立場をとっている。
*種々の判決要旨

5 裁判で国は、『慰安婦』の事実については争っていない。この点については裁判の判決でも政府調査結果、原告主張を採用している。
*1993政府調査結果、河野官房長官談話、94・95総理談話
裁判所の判決は、訴えの根拠がない、あるいは国に一部違法・不法があっても、すなわち賠償責任につながらない、あるいは時効、除斥期間経過を理由に、賠償等要求を却下している。「法的責任による国の個人賠償」は、裁判経過やその判決によって、希望的な見通しは成り立たない状況にある(あった)。*種々の判決

7 戦後、最近まで、外国人・日本人に立法や政策上の対処がなされた「戦後処理」には、かなりの例がある。日本の個人(本人、妻・子)には恩給・援護法等で年間1、2兆円以上の規模を実施、対して対外賠償など政府間・戦後処理支出は1兆3000億円程度ですました。外国人被爆者についてはいわゆる「国籍条項」なし。サハリン残留韓国人について立法政策。シベリア抑留日本人に立法。台湾の元日本兵に特別立法(弔慰金、見舞金)。在日元日本兵について弔慰金・見舞金立法。──2国間条約協定で処理しなかった問題については、遅れて、人道的・道義的世論が後押しして立法・政策が施行された。*立法、政策

8 『慰安婦』について訴訟があり国際問題化した中で、政府は、閣議で「基金」方式・「国の道義的責任」による対処を決定した(1995.8、自社さ政権)。フィリピン、韓国、インドネシアは、賠償・経済協力方式での戦後処理に「追加した」政策をあえてとったといえる。

参考・ナチス強制労働に対する「基金:記憶、責任および未来」、ドイツ政府の立場
「記憶・責任・未来」
財団設立法が施行される 2000年8月12日に「記憶・責任・未来」財団設立法が施行された。
「記憶・責任・未来」財団により、ドイツ企業とドイツ連邦共和国政府は、ナチス時代の出来事に対する歴史的・倫理的責任を示し、従来までの補償に関する法制に人道的援助を加えて補完することとした。
同財団は、かつて強制労働に従事した人々とその他のナチスの被害者に対する援助を煩雑な手続きによることなく、とりわけ迅速に行うことを目的としている。
上記の財団設立法には、申請書の処理と援助金支払いはポーランド、チェコ、ベラルーシ、ウクライナ、ロシア各国にある協力組織を通じて行われる、と定めてある。
さらに、ユダヤ人補償請求委員会(JCC)と国際移住機関(IOM)の両組織が、その他の国に在住する被害者を担当することになる。申請期間はただちに始まり、通常の場合8ヶ月後に終了する。
申請者は、受給権のあることを書類によって証明しなくてはならない。その際、担当の各協力組織が書類を探し出すのを支援する。また、同財団の一部は将来に関わる課題を担うことになっている。その課題とは、ホロコーストとナチスによるその他の不正行為に対する記憶を持ち続け、啓蒙活動と出会いを推進することで全体主義の新たなる脅威を回避できるように手助けすることにある。
政治過程に参加し「実」をとる選択
9 法理論的主張と訴訟で早急かつ有効な結果が見込めないとすれば、『慰安婦』問題の事実を認め国の政策的対処に動く政府に対し、その政治過程への参加を選択する意義があった。ハッキリ会は政府交渉、「基金」役員等への働きかけをつづけた。
参考・95年韓国政府の評価コメント(韓国政府は65年日韓条約・協定を守る立場)
謝罪については1998年の日韓首脳会談・宣言で植民地支配等を謝罪、と文書化。これ以降、総理の「謝罪文」「謝罪金」といっている。

10 「当事者主義」に立つならば、政府との交渉によって「基金」事業内容の前進──当事者が望む事業内容に近い形での早急な実施──を図る意義があった。ハッキリ会などは、「アジア女性基金に反対でなければNGOとして基金事務局に入ってほしい」との政府提案に対し参加を決めた。
*1996年「基金」での深夜に及ぶ政府との協議で内容を詰めた(総理の手紙、医療福祉事業規模等)

11 「基金」は事業体として当事者に向き合い、「政府と国民が協力」する名の下でNGOや世論の後押しで結果を出すことが任務であった。当時「基金」役員会後はすべて記者会見を行い、審議内容を公開した。「基金」は選択肢を広げるものだった。しかし政府をさらに動かすのではなく「基金」反対が一部運動の主目的になり、裁判はつぎつぎに敗訴していった。

12 「基金」事業内容は、実質として追加的戦後補償の内容となった。当時「個人補償への道開く」と報道された。被害当事者個人への「謝罪の総理の手紙」、国民募金による「償い金」200万円とそれを上回る政府の道義的責任を表す拠出300万円(比は200万円)が、申請すれば届けられる仕組となった。韓国でもこの「基金」事業内容を当事者に直接説明をし、「基金」はさらに要求を聞きながら事業内容の前進を政府に求めた。韓国で1996年から申請がつづき、2002年までに実施した。連絡・訪問などフォローアップも継続している。

13 謝罪、金銭支給、そして「歴史の教訓とする事業」が「基金」にある。アメリカにおける戦時中の日系米人強制収容についての謝罪、補償でも、大統領の手紙、補償2万ドル、教育への措置が行われ、のちにドイツ強制労働についての「記憶・責任・未来」財団でも「記憶、啓蒙、出会い」を盛っている。

14 植民地下の戦時動員、強制連行の問題の流れで『慰安婦』問題は浮上した。しかし、1995年に開かれた国連女性会議=第4回北京会議の世界的な問題化が、「戦争と暴力と女性」問題も焦点化した。国連人権委員会での「女性の暴力」に関連し、『慰安婦』問題も報告書に付随し記載された。

ある種の「フェミニズム」の前面化
15 旧ユーゴなどで現代の「戦争と女性の犠牲」が問題になり、先の戦争での『慰安婦』問題は一躍、「戦争・国家・女性」の問題として、国家責任を問う格好の事例として国際舞台で扱われる。その一例が、2000年12月に東京で開かれた「国際女性戦犯法廷」というNGO集会だった。法的責任において天皇とA級戦犯等を断罪し賠償を、と結論した。「沈黙と無処罰」が女性への暴力をつづけさせているという視点に拠っていた。

16 だからなおさらに、日本の『慰安婦』問題について、法的責任、処罰、賠償を国家に求めるという主張を強め、動かせない拠点のようにいうになった。故人の天皇や戦犯を処罰対象にした。理論的?には、間違いではないかもしれない(東京裁判の再現?)。しかしすでに『慰安婦』裁判はそのとき約10年を迎えていた。「追加的」政策としての「基金」も実施して被害当事者の申請もつづいた。

18 当時の法による法的責任─国の賠償(裁判)と、道義的責任・実質の補償政策について、当事者はそれぞれの選択をした。当の「戦犯法廷」開催期間に、複数の国からの複数の被害当事者が「基金」に接触を求め、「基金」の実施を求めた。それに気づいた主催者や各国代表の間では大騒動になった。しかし一切が伏せられ、公的には「法廷」は大成功と主催者は喧伝した。

19 「慰安婦」が壇上にあげられ数分拍手が止まず、「法廷の権威は彼女らに拠っている」と戦犯法廷主催者がいった(ホームページ等)。知識人・法学者らが難しい論を述べている間に、「基金」を受けたいといって行動を起こした事実は抹殺された。ある種のフェミニズムとキリスト教系知識人、活動家が主導したように思えるが、かれらが、自らの意思で行動した被害当事者やNGO支援者を批判する事態をどのように見るか。

左右ナショナリズムの連帯と反発
20 他方で、日本と関係各国のナショナリズムと民主化の流れが、『慰安婦』問題と「基金」事業に大きく作用した。民主化の過程で被害者個人が政府とは違う主張をし、当事者団体が活動を活発化、支持する運動の動きも始まった。韓国では初めて文民政権・金泳三大統領在任1993〜98、金大中大統領1998〜2003。台湾では蒋経国総統が死去して李登輝が総統に就き(1988)、つぎに陳水扁総統になり、民進党が躍進していく。インドネシアでもスハルト政権が交代していった。
*1993年金泳三韓国大統領「もはや物的補償は日本に求めない」発言、1998年韓国政府の一時金再支給、韓国政府の立場、日韓共同宣言

21 関係各国の民主化、ナショナリズムの興隆と戦後50年を境として、戦後50年謝罪決議要求や「慰安婦」問題での謝罪に反発する日本のナショナリズムが政治力をもっていく状況が生まれた。政府間の戦後処理と政治的安定を内外から再問題化した当事者個人や市民活動が、一方からまた政治化していく逆流に遭った。市民活動もその奔流に流され、日本では市民活動の中に非力さと内外の情勢を見誤った「タコ壺」状態が生まれた。被害当事者が自ら立ち上がった経緯と選択を、「運動」が押しとどめ指導しようとしたり、分裂だと非難し排除する事態。それは皮肉にも「古典的反体制集団の論理と心理」の再現となった。
*戦後50年関連衆院決議、「慰安婦」問題の教科書掲載・削除

22 一部のフェミニズムとナショナリズムに翻弄された市民活動が、困難さに堪えられず、先鋭的な反体制運動になり、当事者主体の具体的解決は政治スローガン(原則対置)にかき消されていったといえる。偶像的な人物をつくりあげ、代表などにもちあげて、組織としては内向きであり、その主張は原則的で抽象的、説得力のない「他人事」のことばになっている。
批判や異論のない集団は、当事者や客観情勢を見なくなり、頭のなかで先鋭化しただけの「仲間」であり、社会化や対話を回避してしまう。なにより問題なのは、当事者をも運動の都合によって選別し排除し攻撃さえしていることだ。また、初期の目的についての「結果」を出せない自己責任に無自覚かいいつくろいをしていることだ。はりきってヒロイックになっているのは少数の運動家という図がある。

23 「慰安婦」問題の解決とは何か。国家(政治的・法的)問題と人間的(物的・心的)問題としてどこまで解決が可能か。原状回復は実際的には無理。また人間としての回復はたやすくいえることではない。せめて公的=政治的・政策的な対処がなされ、国家と国民が問題を担い、共有することで被害当事者に提示することが第一ではないか。「本当の謝罪ではない」「国の賠償ではない」──などといえば、行き着くところは「法的処罰」「反日ナショナリズム」の主張やそれへの同調が意義あることと思うだけである。
*「慰安婦」問題国際シンポ、対日過去清算要求集会など(上海、ソウル、平壌)

24 「慰安婦」問題を国際法、国際ネットワークと国内法の立法による「解決」として、具体的には「解決促進法案」があり、その推進運動がある。提案議員は、「基金」批判から転じたつもりで「基金」とは関係がない、と立法趣旨説明の一方で述べ、「補償法」といいながら、他方で「「基金」と二重支給はしない、不当利得を避ける」と説明した。解決促進法においては、すでに「基金」を受けた者は排除すると公言した。すぐにフィリピンなどで猛反発を受けた経緯もある。立法運動が被害当事者から批判されたのである。

25 法案では、「慰安婦」問題は国の法的責任であるとは規定せず、「国の責任においての謝罪と補償を求めた」と、「国の法的責任」といった裁判提訴趣旨すら曲げている。また解決促進のため「金銭の支給」というのみで、「補償する」とも言い得ていない。立法解決の時期すら「当面無理」と承知で廃案、再提出を繰り返している。*法案、参議院内閣委員会議事録

「解決法案」再提出くり返すのは誰のためか
26 当初この法案提出に労をとった本岡昭次参議院議員が、「基金」との協議で、「実行上は「基金」でよい。今後「基金」への妨害は止める」と約して握手した経緯がある。それが吉川春子、円より子、岡崎トミ子議員ら、提案議員が「女性」に固められて以降、反「基金」運動に対する政治ポーズとして法案を扱っている。法案は政府・国会のこれまでの法的整合性(国際法、国内法)にしばられ、「補償」とはいえないし、実際にそういう内容も文言もない。しかし運動や当事者には「補償法」であると説明する。
提案議員を代表して吉川春子議員は国会で、「基金」を選択した当事者には「二重支給とならないように」「不当利得が生じないように」すると明言した。ということは、自らこの法案の仕組・概念は、アジア女性基金と同等であるといったことになる。「基金」を「補償ではない」というなら、「補償法案」でもないのである。明々白々の論理矛盾、自家撞着。つまり「基金」並みの、「基金」の仕組みをなぞっただけの「法案」なのだ。その点で、上記・本岡議員の「アジア女性基金でいい」発言こそ正直というべきだろう。
そのうえ、「解決促進法」どころか、元「慰安婦」への「差別法案」なのだ。政府次元で設立し、予算案を国会で通して実施した「基金」事業を受け取った被害当事者を法の対象から排除すると公言。「基金」を受けた「慰安婦」被害者を「女性の名誉等の回復に資するための措置」の対象としないというのだから、元「慰安婦」差別でなくて何だろう。
ちなみに、「基金」について政府は、補償・賠償ではないとして、賠償請求する裁判原告の法的立場と関係がなく、その「基金」申請も問題ないとの立場をとっている。

27 「慰安婦」問題は、各国の政治・社会状況や市民鰍O1年以来、3回目。
 発議者に日本共産党から吉川春子、八田ひろ子、吉岡吉典の3人が参加しています。
 同法案は、先の侵略戦争で旧日本軍によって「慰安婦」とされた被害者にたいし、謝罪と補償、名誉回復のために「必要な措置を講ずる」ことを日本政府に求めています。また、問題解決のために、政府が「基本方針」を定め、被害実態の調査にあたるほか、必要な財政上の措置をとることを明記。そのために内閣府に首相を会長とする「戦時性的強制被害者問題促進会議」を設置し、実態調査のための調査推進委員会をおくことを定めています。──

*さらにその後も廃案、再提出、廃案がくり返された。