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ニュース保存2002.2-3
日韓歴史共同研究委員会、日本側座長・委員が内定
2002.3.
日韓歴史共同研究委員会の座長に三谷太一郎成蹊大教授、委員に小此木政夫慶大教授らが内定した。4月にも会合を開く予定。
産経新聞によると以下の通り。
[産経新聞 3.12]
政府は十二日までに、日韓両政府が歴史認識について相互理解を図るために両国の歴史専門家らでつくる「歴史共同研究委員会」の日本側座長に、三谷太一郎・成蹊大教授(日本政治外交史)を内定した。
北岡伸一・東大教授(近代日本政治史)、小此木政夫・慶大教授(現代朝鮮・国際政治)、原田環・県立広島女子大教授(朝鮮近代史)−らの委員就任も内定した。
歴史共同研究委は、日韓両政府が今月五日に合意した「日韓歴史共同研究推進計画」に基づき設立されるもので、今月中に日韓双方からそれぞれ十人程度のメンバーを決定。
四月にも初会合を開き、二年後をめどに研究成果をまとめる。
三谷氏は東大法学部卒。東大教授、英オックスフォード大客員教授などを歴任し、平成九年から現職。六十五歳。
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(追記)2002年05月25日、日韓歴史共同研究委員会はソウルで第1回会合を開いて始動した。
韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会、控訴審第2回は、5月21日と決定
(2002.3.7)
韓国・遺族会の戦後補償請求訴訟、控訴審の第一回は、3月5日15時30分より、東京高等裁判所813法廷で開かれた。
金鍾大会長が総括的な意見陳述を行い、高木健一弁護士が控訴理由などを述べ、16時過ぎ、終了した。
この控訴審開始に合わせ、韓国・遺族会からは、梁順任名誉会長、金鍾大会長、ペ・海元名誉会長ほか、金田君子さんら総勢10人が来日した。
控訴審第2回は、5月21日(火)午後3時30分から、東京高裁813法廷、と決定。
この回では、沈美子さん(元「慰安婦」)の陳述が予定されている。
アジア女性基金韓国事業、5月1日で終了
アジア女性基金は2月20日、「基金」で記者会見を行い、韓国での元「慰安婦」への償いの事業を、ことし5月1日に終了することを発表した。
99年6月当時から実態として停止状態となっていた韓国事業の停止を解除し、当日までの申請は受け付けて、「償い金」、総理の手紙、医療・福祉支援事業を申請者個人に届ける方式については、この日をもって終了することになる。
記者の質問に答え、「基金」は、日本政府から韓国政府に対してこの発表内容を事前に知らせている旨、聞いているとした。
この方式でフィリピン、韓国、台湾でこれまでに届けた総数は188人。別の方式で、オランダでは78人に届けている。(総計266人)
現在の国民の募金総額は約5億5000万円。(2002.2.)
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石原副理事長発言要旨──韓国事業終了について
平成14、2002年2月20日
1. アジア女性基金のフィリピン、韓国、台湾における「償い事業」は、それぞれ実施期間を定めて実施しておりますが、これらの事業は開始からそれぞれ5年間で終了することとなっておりました。
2. さて、1997年1月11日に開始された韓国での事業は、諸般の事情、特に、韓国側ではその実施について反対もあり、1999年7月30日の理事会の決定により停止状態にありました。そのため、当初の終了期日と発表していた、本年1月10日には、終了せず停止状態を続ける旨、昨年12月17日の理事会で決定いたしました。
3. その後、各方面と折衝・協議の結果、状況を変える可能性がないことから、去る2月15日に開かれた理事会において、停止状態を解き、この「償い事業」全体の終了日と決まっていた5月1日に、韓国での事業についても終了することを決定しました。
4. なお、まもなくこの事業は終了いたしますが、(元)「慰安婦」の方々に対し、日本政府およぴ日本国民が示す、深い反省と歴史の教訓とする決意は不変であります。
以上
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「別の方法を講じるように」──韓国政府論評
韓国政府外交通商部当局者は2月21日、アジア女性基金の韓国事業の終了発表について次の通り論評した。
(東北亜一課。同部スポークスマン発表、要旨)
▽「基金」側は20日、韓国に対する事業を同日再開し、5月1日に終了する旨発表した。
▽これに対し韓国政府は、(「基金」の一時金支給に反対があることを重視し)被害者と関連団体が受け入れられる別の方法を講じるよう求める。
▽韓国政府は、被害者に対し、支援金を自主的に支給しており、毎月一定額の生活費を支給している。
(付帯資料)
韓国政府の旧軍隊慰安婦支援
▽生活安定支援法 登録者に一時金500万ウオン、毎月50万ウオン
▽支援金支給98.5から 一時金3800万ウオン(うち民間650万ウオン)
▽市、道によっては毎月5.6万〜50万ウオン
▽生活保護法 毎月15.7万ウオン、死亡者50万ウオン、希望者は望郷の丘安置
▽医療保護法 外来、入院無料
▽老人福祉法 65歳以上に月4万ウオン、80歳以上月5万ウオン、65歳以上の希望者に健康診断実施
挺対協、「ただちに終了」を主張
挺対協は、「基金」解体、「基金」の謝罪、日本政府の謝罪と賠償、韓国政府・韓国国会に日本への抗議を求めた──ホームページ上。
アジア女性基金には送っていない。(2.21.)
のち、日本の賛同運動団体名で日本に紹介。
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「国民基金」の事業延長に対する韓国挺身隊問題対策協議会の立場
2月20日、「女性のためのアジア平和国民基金(国民基金)」は記者会見で、5月1日まで韓国の「慰安婦」ハルモニの申請を受け付けた後に韓国での事業を終了すると発表した。この措置は1月10日の韓国での事業延期の発表に対する挺身隊問題対策協議会と日本の40余の市民団体の抗議がもたらしたものである。
しかし、3年間停止してきた「国民基金」の支給を70日間再開するということであり、再び韓国の「慰安婦」ハルモニたちを誘惑して受け取り者数を増やそうと目論んでいるとしか考えられないのである。
挺身隊問題対策協議会は「国民基金」の事業延長に対して強く抗議し、以下のとおり要求するものである。
1、「国民基金」は5月1日まで(の)事業を直ちに中止し、解体せよ。
2、これまで被害者の声を無視して事業を強行し、被害者間に分裂をもたらし名誉を傷つけたことに対して深く反省し、謝罪せよ。
3、日本政府は「国民基金」による欺瞞的な活動を中止して直ちに公式謝罪と法的賠償を行え。
4、韓国政府は「国民基金」の支給額に相当する金額を被害者たちに支給し、「国民基金」の支給に対抗してきた。それゆえ、韓国政府も国民基金の70日間の事業延長に対して抗議すべきである。
5、国民を代表する(韓国)国会議員たちも、この間2度(93年、97年)にわたって「ハルモニたちを支えよう」と韓国国内で繰り広げられた募金運動に熱心に参加した韓国国民の意思に従い、「国民基金」の韓国での事業延長に対して抗議をすべきである。
2002年2月21日
(社)韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 金允玉・池銀姫・鄭鎮星(キム・ユノク、チ・ウニ、チョン・ジンソン)
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朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表
2002.2. 朝日速報より
朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。
金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。
さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所−特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。
証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。
軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。
どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦(しょうふ)が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。
金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。
◇
大阪外国語大学の藤目ゆき助教授(歴史学)の話 非常に重要な報告だ。軍慰安婦については、韓国でもほとんど知られておらず、発見といっていい。韓国にいて韓国軍の暗部を問うのは難しい。同胞の女性を性奴隷化した自国社会を直接問うことになるからだ。アジア女性史研究の上でも、軍慰安婦と現在の軍事基地周辺での性暴力がどのようにつながっているのかを知る助けになる。(23:32)
挺対協傘下団体名で192人の元「慰安婦」証言資料
日帝、既婚者も慰安婦として連行/生存者1 92名証言の統計
95%が「拉致・詐欺動員」
1930〜40年代の日中戦争と太平洋戦争当時、日帝が既婚・未婚を問わずに韓国の女性を従軍慰安婦として強制動員したことが明らかになった。
また、これらの動員された人に対して拷問・殴打・兵糧責めなどの暴力行為が行使され、帰国後も約半数が結婚できないなど、正常な生活への復帰に困難をきたしていたことが明らかになった。
韓国挺身隊問題対策協議会付属の『戦争と女性人権センター』は3日、女性部の支援を受けて全国の慰安婦出身女性192名を相手に調査を繰り広げ、『日本軍慰安婦証言統計資料集』を発行した。この資料は国内に生存する従軍慰安婦被害者の全体を相手とした初めての調査毅告書である。
資料によると、慰安婦として動員された当時に既婚であるか結婚の経験のあった被害者は全体の10.3%にあたる20名だった。動員方法は仕事を餌にした「就業詐欺」(44.2%)、誘拐・位数(29.4%)、圧力(21.7%)などの順であっ
た。
慰安所内では殴打(54.7%)、脅し(35.4%)、兵糧責め(15.6%)、拷問(7.8%)などの暴力を経験したと彼女らは証言した。そのうち、9
3名く4 8.4%)は帰国後に結婚できなかったことが明らかになった。その理由としては性関係に対する恐怖(17.2%)、罪責感(9.9%)、男性忌避症(5.2%)、性病、及び不妊(4.2%)などを挙げた。
また、85%は疾病などで正常な生活ができず、生活費のすべてを政府からの支援に頼っている。
さらに、慰安所での在留期間が11年以上に及ぶ女性が8名おり、14年間慰安婦生活を送った女性もいた。/愈碩在記者
(朝鮮日報’02年2月4日 社会面)
韓国の元「慰安婦」への償いの事業、アジア女性基金が申請終了を延長
2002.1.10. 朝日新聞が報道。翌日から韓国聯合ニュース、産経新聞が同様の報道。さらに韓国で東亜日報、大韓毎日も追って報道した。難局打開が目的?
1.15. 挺対協は「抗議書」(14日付)を公表。主旨は「基金」は延長を即刻取り消せ、「基金」は解体せよ、日本政府は公式謝罪と賠償を実行せよ──というもの。これは、日本大使館、「基金」に届けた。*
韓国事業の経過
韓国の運動団体である挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は、報道を受けて、従来の姿勢通りの「抗議書」を公表した。ここしばらく、「基金」に対してとくに行動を起こしていなかったが、「延長」には敏感に対応した。
同運動団体は、設立当初からアジア女性基金に反対し、その解散を求めてきた。政府賠償の運動を展開し、「一人でも受け取ることはない」としていた。
だが、相当の被害者たちが「基金」に申請し受けていった。98年、あわてた同団体の要求にそって韓国政府が「基金」の支給額に対抗して同等の一時金を支給。その際「基金」を受け取らないとの誓約書提出を求め、それまでに「基金」を受け取ったと認める者は支給対象から除外する措置をとった。(挺対協は「勝利宣言」。)
これにより韓国政府は、賠償問題にはしない、一方的に「慰安婦」問題を妥結した、「基金」は個人支給方式を止め歴史の教訓とする事業(記念館、慰霊塔など)に転換せよとの立場を打ち出した。
挺対協から被害者はすでに離反
同98年にはしかし、被害者たちが、「運動団体の利用物にはならない、自分たちで決める」と公然と声明を出し、日本政府と「基金」は被害者たちの意思を聞くようにと求めた。「基金」を選択しようとしたり受け取った被害者たちを非難攻撃した「支援運動体」に対する、これが被害者ハルモニたちからの答えだった。「運動」の強硬な運動方針とそれに動かされる韓国政府。「反日」追随の日本の「運動」。けれども、被害者たちは独自に動いていった。それが真相であり、実態だった。
98年から99年にかけて、日本政府が事業転換の案として高齢者医療機器整備のための資金供与、医療施設案を順に提示した。99年最終的に韓国政府は転換事業も拒否し、「終結」の態度を固めた。挺対協いうところの慰霊塔、記念館の案を韓国政府が例示していたが、挺対協には一切の「転換案」も通じなかったのだろう。
98年10月の「日韓宣言」(金-小渕首脳会談)でいう過去問題の終結の姿勢を実行したとも解される。しばしば懸案で衝突しても、やはり手を結ぶ日韓両政府の図─がくりかえされた。
否定できない「基金」、被害者が受け止め
「基金」は韓国で、国民募金による「償い金」200万円と政府資金による医療・福祉支援事業300万円規模、そして総理の謝罪の手紙を申請被害者に直接届ける事業を実施してきたが、韓国側が止めるようにとの公式的姿勢を打ち出してからは、「基金」としては難局を迎え、事業は停止状態となった。
金大中大統領は、「被害者の希望しだいだ。団体や被害者たちとよく話しあってほしい」との見解を述べていたが、漁業協定交渉など他の外交課題などと絡み、韓国政府当局は政治的に一時金支給によって「基金」はもう動かないようにとの強硬方針に走った経過がある。(「基金」構想段階での評価から韓国政府は立場を転換。)
ところが、被害者たちは、「自分で決めたい」と公然と声をあげると同時に、運動団体が「基金を受け取るな、まもなく賠償をとれる。もしも基金を受け取れば年金を停止させる、カネをもらう売春婦と同じ」ということに対して、「いつ賠償の答えが出るのか、慰霊塔や記念館は自分たちの要求ではない。もう運動の利用物にはならない、デモにも出たくない」との動きに出て、その輪は広がっていった。「一人も基金を受け取らない。被害者たちは反対している」との運動体の主張の根拠は揺らぎ崩れていった。
「基金」は既定方針どおり、韓国、フィリピン、台湾の申請者に対して、これまでにあわせて188人に届けている。(別方式でオランダでは78人。)
【解説】
基金は十分結果をうんだ
早々に現行の仕組みはいったん終了すべきだ
韓国について「基金」が申請期間を延長したことで、韓国での事業が進むような環境にはない。韓国の「公式」─理に走ってしまったら動きようがないからだ。
韓国挺身隊問題対策協議会も、「賠償要求」運動の展望を自ら画期的に開く方法をもっているわけではない。ただ内外に、対日強硬方針を打ち出してきた手前、「基金」には解体論をぶつけざるをえない立場にある。その赤いハタを降ろしたら、たちまち自壊する運命だ。それだけに、「基金」の延長決定はかれらの自己主張の格好の材料だった。
1月14日の挺対協抗議文は、「生存者のおばあさんが7年間にわたる拒否の意志と抗議にもかかわらず」、韓国で「特別に延長することとしたのは、加害者の無恥である」とした。相変わらずおばあさんたちが「基金」を拒否していると、わけもなく運動としての「立場」だけを述べた。たとえ、自らの足下からつぎつぎと、被害者ハルモニたちが離れていっている実態を知っていようと、運動の維持がだいじだからだ。
「立場」のうらには何があるか──。
「基金」を受ければ自ら行った「売春婦」となると、信じがたい論理でおばあさんたちを脅し侮りさげすんだ挺対協自身の言動は、「名誉回復を妨害し」た以上に「非人間的な」本質をあらわにしている。「敵」を見間違い、閉じられた回路にもぐった運動は、論理もなにも実はなくなってしまった。それでも、だからこそ、おばあさんたちはくじけることなく、「運動体の利用物にはならない。自分で解決する」と宣言するまでになったことを忘れてはならない。
この間、補償問題をめぐる情勢はどう動いただろう。
91年以来の東京地裁での裁判で、01年原告請求棄却の判決が出された(原告韓国・遺族会は控訴)。裁判による日本政府の補償は退けられ、運動が主眼とした「立法による金銭の支給」法案も成立の可能性は見えていない。むしろ法案提出議員自身が「実行上、アジア女性基金でよい」と「基金」幹部と和解の握手をしている。
世論では元「慰安婦」への謝罪・補償不要論が勢力を増し、「教科書」などでも戦後50年当時の情勢とは一変してしているのが現実。約190人の韓国政府の元「慰安婦」認定登録者の相当数が亡くなり、生存者も老衰と病気、独居状態に日々不安をつのらせている。
「唯一の公的な償いの事業。補償といわないだけで、政府の実質補償とも解釈できる。被害者の心を原点に考えるべき」との論調もあり、補償立法より「基金」を後退させないことが、この環境では政治的課題だという野党関係者もいる。
政治と世論と運動にもまれつづけた「慰安婦」被害者たちだが、「基金」のせめての国民・政府一体の事業に期待をつのらせてきたといえる。5年つづけてきた「基金」韓国事業は、その終了時期も被害者たちにきちんと記憶されてきており、支援運動と称する団体などの妨害や政治的思惑を超えて、「基金」始動当初からの趣旨と事業内容が限界も含めしっかり受け止められている。
すでに相当数が「基金」を受けたと報道されている。「基金」申請書はだれも強制などできないし、貧しいからカネの力でというのは、被害者に対して侮辱的で、品のわるい政治宣伝でしかない。
申請しない人たちも、少なくとも「基金」対抗の韓国政府の一時金を得ている。自国政府や運動関係者との間でさまざまな事情をかかえての判断だと考えられる。韓国一流の体面主義、反日の旗印を正義とする政治・世論と被害者の気持ちや実態とがいよいよ「二重性」(かい離)を深めた。生活と現実をかかえた当事者が「基金」と韓国政府支援金支給の動向を見極め、その生活上のリアリズムが事態を進行させていった。
おそらく韓国政府も運動体も、押しとどめられないこの現実を暗に認めている。
だからといって、「基金」としては、無理な延長をつづけるわけにはいかない。「反」の旗を下ろせない韓国側関係者の立場に配慮するならば、当初からの直接個人支給の方式はいったん終了するべきだ。現実に多くの被害当事者が「基金」の現実を理解している。あたかも現行の「基金」が否定的であると自ら認めるような延長と韓国側「反対運動」への和解の要請は、被害者たちと募金協力者に対する背信行為だからだ。
キリをつけて終了。その上で、被害者たちの動向やその気持ちを受け止めながら、さらに進めるべき「慰安婦問題」への対処を、政府・国民の間でつくりだしていくことだろう。
サハリン残留韓国人対策、在日外国人元日本兵への措置、在外被爆者への措置の動きなどと並べ比較しても、アジア女性基金事業の謝罪の手紙、政府資金と国民の募金による個人への支給方式は、日本の戦後政策の到達点の一つとなっている。これはもう、後退できない一線となった。
今後は、改めてなんらかの「慰安婦」被害者たちをふくめた戦争被害者への追加的政策を進めることと、歴史の教訓とする事業を、「基金」と政府が行っていくことが課題だ。被害者たちを運動に利用・管理し、理論偏重で被害者に結果を出す工夫も交渉力もなく、政治運動的主張を正義として対置するだけの「原理」運動は、不信と不満、離反を増やすだけだろう。とくに日本の「運動」なるものが、相手側によりかかって、自らの責任や非力を棚上げし、支援「運動」に「心理的カタルシス」を求めているとしか思えない。
個人補償を求める裁判での争いは最後までつづけたいと、原告被害者は引き下がらず、控訴がつづいている。
他方、世界をみると、戦後処理の条約・2国間〔政府間)での決着を現実として認めたうえで、政府と被害者個人との間で、「追加的措置、道義的処理」を自国内で行うことが大勢となっている。言い換えるなら、やはり戦後の政治主導の処理では立ち行かなくなって、被害当事者・被害実態については、国家の責任によって何らかの方法で打開する試みが始っているということだ。
戦後補償の運動は、内外を問わず、こうした情勢を踏まえ、「国家による戦争・紛争での人間破壊」に対する主張を政策などに反映させていくことが課題だ。徒らな「反体制」の呼号─「閉じた回路」に陥ることは、何ももたらさない。そうした一途な思い込みと相手が悪いというだけの姿勢は、奇矯な論や暴力の温床をつくるだけだ。
実際に、「基金」を受け取る女性をいじめ、切り捨てる。手を出そうとする者は「報告」、「告発せよ」と被害者たちに迫るなどしてきた「運動」。支援と称する運動とそれに影響される政府によって振り回され、陰湿な脅迫と恐怖支配(暴力といってよい)によって「基金」から遠ざけられていた被害者が、どんどん自らの意思と決定に自信をもっていった。「論理」をかいくぐって進んだ「実態」。その分、二重構造ができてしまった。
当面ほとんど可能性はないが、韓国社会でできたこうした「二重構造」を「被害者中心」に戻せないか、その模索の時間が今度の延期であると、あえて理由づけるほかない。
補償運動の中に暴力や内部政治が蔓延する。無力、非力だからこそ内部に刃を向ける。「閉鎖した回路」に落とし込められると、だからまた超え出る力もあらわれる。それが、やはり被害当事者自身だった。
こうした回路を脱しないかぎり、補償運動は「反体制運動」を目的とする者たちの食い物にはなっても、被害者へ結果を出すことも日本の戦後の問い直しも進まない。
KJ2002 熱もあるが、実際に日韓には、旧来の対立・依存関係とは無縁に、あたらしい健康的な動きが確実に広がっている。つきあい方そのものが変わってきている。2002.01.
朝鮮日報の報道
日帝、既婚者も慰安婦として連行/生存者192名の証言の統計/95%が「拉致・詐欺動員」
1930〜40年代の日中戦争と太平洋戦争当時、日帝が既婚・未婚を問わずに韓国の女性を従軍慰安婦として強制動員したことが明らかになった。
また、これらの動員された人に対して拷問・殴打・兵糧責めなどの暴力行為が行使され、帰国後も約半数が結婚できないなど、正常な生活への復帰に困難をきたしていたことが明らかになった。
韓国挺身隊問題対策協議会付属の『戦争と女性人権センター』は3日、女性部の支援を受けて全国の慰安婦出身女性192名を相手に調査を繰り広げ、『日本軍慰安婦証言統計資料集』を発行した。この資料は国内に生存する従軍慰安婦被害者の全体を相手とした初めての調査報告書である。
資料によると、慰安婦として動員された当時に既婚であるか結婚の経験のあった被害者は全体の10.3%にあたる20名だった。動員方法は仕事を餌にした『就業詐欺』(44.2%)、誘拐・拉致(29.4%)、威圧(21.7%)などの順であった。
慰安所内では殴打(54.7%)威脅(35.4%)、兵糧責め(15.6%)拷問(7.8%)などの暴力を経験したと彼女らは証言した。その内、93名(48.4%)は帰国後に結婚できなかったことが明らかになった。その理由としては性関係に対する恐怖(17.2%)、罪責感(9.9%)、男性忌避症(5.2%)、性病、及び不妊(4.2%)などを挙げた。
また、85%は疾病などで正常な生活ができず、生活費のすべてを政府からの支援に頼っている。
さらに、慰安所での在留期間が11年以上に及ぶ女性が8名おり、14年間慰安婦生活を送った女性もいた。
(朝鮮日報02年2月4日社会面より)
注・「女性部」は政府女性部(女性省)。「慰安婦」問題は保健福祉部から女性部の担当になった。
「生存被害者全体192人」と読めるが、それが政府登録被害者なのかそれ以外の元「慰安婦」も含めているのかは不明。
政府登録者数は186人、うちその後亡くなった方が多く、現生存約140人と出されたことがあった。